唐澤貴洋一族追求スレ (451)

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292 グナマーナ正大師 2015/06/06(土) 10:12:08 ID:4iTIooGA

>>291
>ところが、銀行がつぶれてしまったため、村井は一転朝鮮を目指す。明治38年、31歳のことだ。
>当時、すでに開発熱が高かったにもかかわらず、地価はまだ安かった。「この時まず人より先に開発しようとしたのが彼だ。
>まことに少壮、覇気と独創に富む彼の面目がここにもよく現れている」(同)。
> 朝鮮に渡り7年、20町歩を越す農業地と1万坪強の住宅地を経営するに至る。社会的地位も上がり、
>京城民団議員など公職にも就いた。ところが大正3年、父の訃報で帰郷、家督を相続する。

渡ってすぐの明治40年に龍山居留民団議員氏名として村井甚七(後の啓助)が選出されてることも考えると、
村井林七は朝鮮に渡ってないか、渡ってもとんぼ返りでしょ
龍山水産も甚七のもの