339 グナマーナ正大師 2015/06/11(木) 23:58:47 ID:jsu8BzM.
ネット上に転がってる情報とはまったく別の切り口で河野家の話をさせていただきます。
■河野一族の追跡について
河野一族は戦国→江戸期にかけて帰農させられた旧来勢力なので
江戸期の記録は庄屋、名主、地主格として記録に残ってることが多いです。(愛媛・広島・山口・岡山等)
可能となる先祖の追跡は、唐澤、河野家の除籍簿請求、菩提寺の過去帳。
これらは他人による追跡は厳しいものとなっています。
他には膨大な作業になりますが出身地の地域史、郷土史などをつぶさに観察すると新たに分かることもあると思います。
しかしこれ以上はプロの力を借りないと厳しいと思います。
■河野家とは
成立や歴史はwikipedia通り。
日本は明治維新以降、海洋国家として軍事力を増強させ、瀬戸内海の水夫や船乗りを中心に海軍勢力を構成してきました。
水軍大将として長い歴史を持つ河野家の明治における存在感は司馬遼太郎の坂の上の雲などに語られている通りです。
維新志士の中にも河野家を祖とする者が数多く存在し、海軍内において尊敬の対象として見る向きも強くあったそうです。
滅びた名家として表向き大きく語られることはありませんが、歴史を紐解くと、錚々たる人物が現れます。
戦国期に帰農させられ、公式記録としての家系は途絶えさせられたが、維新とともに返り咲いた。
明治期の西日本の人間の記録を可能な範囲で全て目を通しましたが、その意味合いが強かったです。河野家を祖とする者も含め。
現在の実業界・政財界にも出身を名乗る者も多く(歴史が古く、滅びた一族なので名乗りやすい面あり)
一英氏もその流れを汲む一人ではないかと考えています。
河野家の歴史面を詳しく知りたい方は愛媛県今治市大三島の大山祗神社の境内軒下の歴代公式参拝者の写真や、同神社宝物館をご覧になると良いでしょう。