77 グナマーナ正大師 2015/05/18(月) 09:11:02 ID:vraFb3lA
>>71
サンガツ
平田知恵人の荒物屋「平田屋」が平田百貨店の前進だから一英の言う「平田百貨店社宅」に当たるっぽいね
平田屋開業は1906年だから一三が関わっていたのはこの時か
http://www.hayashihiroshige.jp/assets/7_comment.pdf
平田百貨店の主人、平田は、米国のカリフォルニア州サクラメントで20数年間雑貨商を経営したことがある。
http://s.webry.info/sp/nemuihito.at.webry.info/201403/article_2.html
この他、政府も全国の商人に、「日本人が朝鮮に進出して支那人に代わって商圏の拡大を図る様に」と呼びかけています。
それに呼応して漢城に移住した商人は多く出ました。
京城に於ける日本人経営の4大百貨店と呼ばれたのは、三中井と三越、そして平田百貨店、丁子屋です。
三中井、三越と並び、平田百貨店と丁子屋はこの時期に進出しました。
平田知恵人は1906年、漢城の本町通りに荒物屋「平田屋」を開業しています。
http://www.jkcf.or.jp/history_arch/first/3/05-03j_hayashi_j.pdf
同じく39年に平田知恵人が三越と目と鼻の先の本町通り1丁目に平田屋荒物店を創業した。
大正15年には、平田屋が三中井と同じ本町通り1丁目の並びに平田百貨店を開店した。
木造2階建て、一部3階建てで延べ800坪の大きさである。
創業者の平田知恵人が欧米視察をおこない、そこでディスカウント・ストアの隆盛を目のあたりにしたために、そのAI移転による百貨店化を決断したのである。
http://s.webry.info/sp/nemuihito.at.webry.info/201403/article_5.html
余談ながら、平田百貨店は三中井と殆ど隣り合わせにあったのですが、木造2階建て(一部3階建て)延800坪の店でした。
日用品・雑貨及び食料品を大量に仕入れ、安く売ることで京城府民の人気を博していました。
つまり、今で言うディスカウントストア、例えばドンキホーテとかの業態に近いものです。
本町通り商店街のプライス・セッターとなって、府民を本町通りに呼び寄せる吸引力を発揮しました。
創業は1906年で、創業者の平田知恵人がささやかな荒物商店を開業したことに始まります。
この知恵人が欧米視察を行い、そこでディスカウント・ストアの隆盛を目の当たりにして百貨店化に踏み切ったようです。