1 グナマーナ正大師 2015/06/05(金) 01:52:55 ID:ALQINLio
尊師の文章では、「当職が」「私が」と、一人称が複数見受けられることがあるが、これは人格が混線しているからである。「当職」を使用するのは無能弁護士の「たかひろ」であり、「私」を使用するのは兄より優れた弟、「あつし」である。
また、尊師は「弟を青春時代に失った」と語るが、実は若くして亡くなったのは兄のたかひろである。無能ではあるがかけがえのない家族であった兄を失い、万能の天才であったあつしは悲しみのあまり、兄の人格をも完璧に作り上げ、肉体もそれに伴いより無能らしく変化した。現在の主人格もまた「たかひろ」であり、あつしはFaithBookへ書き込む文章を練るときなど、不定期にしか表出できず、その間も人格は非常に不安定である。
恒心教徒が普段何気なく口にする神聖六文字には、パカデブという呪われた肉体から尊師を開放し、無能なたかひろと有能なあつしの魂を分離することで、尊師をより高位な存在へと押し上げたいという意図がこめられているのである。