354 グナマーナ正大師 2015/08/30(日) 16:49:50 ID:94PYcIP6
数年前に、秋葉原やマツダ本社工場の無差別殺傷事件などについて、知人と話したことがあります。
これらの事件の共通項は、いわゆる「負け組の男」が犯人であることです。その時の会話では、犯行に至る心理を、
・犯人にとっては生きていくことそのものが苦痛。
・苦痛から逃れるために死を願うようになる。
・「一方的敗者」として死ぬことが悔しいため、自分を苦しめた「敵」に一太刀浴びせてから死にたい、と考える。
・しかし、敵は「社会」という漠然としたものであるため、代わりに「社会でうまくいっている人々」を敵と(無理やり認識)して攻撃する。
ではないかと分析しましたが、「黒子のバスケ」事件の犯人の告白がその分析と合致することに驚いています。(以下、引用)
>動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から、自分の人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。
>それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。そして自殺という手段をもって社会から退場したいと思っていました。
>ですから、黙って自分一人で勝手に自殺しておくべきだったのです。その決行を考えている時期に自分が「手に入れたくて
>手に入れられなかったもの」を全て持っている「黒子のバスケ」の作者の藤巻忠俊氏のことを知り、人生があまりに
>違い過ぎると愕然とし、この巨大な相手にせめてもの一太刀を浴びせてやりたいと思ってしまったのです。
>自分はこの事件の犯罪類型を「人生格差犯罪」と命名していました。
>自分は人生の行き詰まりがいよいよ明確化した年齢になって、自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、
>その後に自分の人生を終わらせたいと無意識に考えていたのです。ただ「何か」の正体が見当もつかず、仕方なく自殺だけ
>をしようと考えていた時に、その「何か」の代わりになるものが見つかってしまったのです。
>それが「黒子のバスケ」の作者の藤巻氏だったのです。
http://totb.hatenablog.com/entry/2014/03/18/231219