512 グナマーナ正大師 2015/09/22(火) 10:51:30 ID:0wkXOcUM
しかし、ここで問題になってくることは、なぜA君がB君を罵倒しなければならなかったかであると。
もし、A君の心の働きの中にB君を本当に真理に目覚めてほしいと、本当に真理の実践をしてほしいという心があったならば、例えば暴力を振るったり罵倒したりしたとしても、A君の心は成熟するであろうと。
もちろん、身体を痛めたり、あるいはアストラルを痛めたり、ケガしたりするかもしれない。しかし、少なくとも心は成熟するであろうと。
なぜならば、A君は自分のなした行為、例えば殴ると、この行為によって自分の身のカルマはけがれると、例えば罵倒することによって口のカルマがけがれるということを知っているからであると。
知っているというのは、頭の中で知っているだけじゃなくて、実際に経験してるからであると。しかし、もしA君がここでB君に対してそれを行なわなければ、B君は地獄へ落ちてしまうだろうと。
A君がそう考えたならば、これぞヴァジラヤーナであると。