12 無名弁護士 2017/08/13(日) 11:28:35.98 ID:FBe0fTB2I
朱常洵(しゅ じょうじゅん、1586年2月22日(万暦14年1月5日) - 1641年3月2日(崇禎14年1月21日))は、中国明朝の皇族で、初代の福王。万暦帝の第3子として生まれた。母は貴妃鄭氏である。
貴妃鄭氏は宮中で万暦帝に最も寵愛された后妃であった。万暦帝は彼女が生んだ子である朱常洵を皇太子として育てようと考えたが、大臣たちは長男の朱常洛(のちの泰昌帝)を懸命に支持したため、常洵は皇太子になれなかった。
万暦帝はその代わりに、凄まじい贅沢を常洵にさせた。例えば常洵の結婚式の際には30万両という金額を使っている(ちなみに万暦帝の幼少時、政治を執っていた重臣張居正が十数年かけて国庫に積み上げていた金額が400万両である)。
このため常洵は、重税と困窮にあえぐ民衆の怨みを買うことになり、これが彼の最期へと繋がっていく。
明に対し反乱を起こした李自成は、1641年に洛陽を占領した後、西関の周公廟で「福禄宴」[1]という宴会を開き、その中で朱常洵は処刑された。
その後、体重が180kgあった朱常洵の肉が一塊ずつ切り取られて、皇室の庭園で飼われていた鹿の肉と煮込まれた。李自成はその肉を部下に食べさせた。