大田次男殺害事件 (13)

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1 無名弁護士 2017/10/01(日) 14:23:59.56 ID:HW3HFAMh0

大田次男殺害事件(おおたじなんさつがいじけん)とは、1995年(平成7年)に東京都大田区の次男・唐澤厚史が殺害もしくは自殺した。事件の一般的な呼称。警視庁による正式名称は「田園調布本町次男暴行殺人事件」。
2017年(平成29年)10月現在も、犯人の特定・逮捕には至っておらず、未解決事件となっている。

事件の概要[編集]
1995年(平成7年)8月24日午後11時頃から翌25日の未明にかけて、東京都大田区田園調布本町36-11の邸宅で、父親・唐澤洋(当時48歳)、母親・唐澤厚子(当時42歳)、長男・唐澤貴洋(当時17歳)らによって次男・唐澤厚史(当時16歳)が暴行後、自殺もしくは死亡した。

事件の背景[編集]
1992年、当時中学生だった唐澤厚史は転校先で馴染めなかったことをきっかけとして非行に走るようになり、家族間(特に兄
・貴洋)との関係が悪化した。1995年、16歳になった厚史は渋谷のチーマーに入り、恐喝を初めとした数々の犯罪行為に手を
染めるようになった。ある日、犯行現場を偶然親戚が目撃し父・洋に報告したことで、体裁を気にした洋と厚史の間で暴力沙
汰の大喧嘩となった。最終的に警察も出動する大事になり、父親と次男の確執は決定的なものとなった。この事件の後、厚史
は母・厚子と長男・貴洋にもより激しく当たり散らすようになり、二人に対し頻繁に金銭を要求し、断ると暴力を振るった。
こうした数々の悪行に対し、遂に耐えきれなくなった一家三人は厚史の殺害を決意する。

事件当日[編集]
1995年8月24日午後11時頃、厚史が帰宅し自室に入った瞬間、部屋の中で待ち構えていた貴洋が頭部をドアに叩きつけ、床に
押し倒した。同時に貴洋は厚史に両腕を足で押さえつけるように馬乗りになり、洋に厚史の足を押さえつけるよう指示した後
、厚史の顔面を凍らせた小便で気を失うまで殴打した後、厚史の口に詰め込んだ。また、その間洋は厚史の腹部や足をナイフで
メッタ刺しにし、厚子はなんとかして洋の足を退けようとする厚史の腕に予め沸かしておいた熱湯をかけた。この時のことを
振り返って近隣の住人は「凄まじい怒鳴り声の後、おぞましい悲鳴が聞こえて、恐ろしくて夜も眠れなかった。」と語ってい
る。なお、この直後から死体発見までの詳細はよくわかっていない(後述を参照)。