2 無名弁護士 2017/10/01(日) 14:24:23.06 ID:HW3HFAMh0
事件の発覚[編集]
1995年8月28日、多摩川の河川敷に唐澤厚史の死体が漂着しているのを近所の住民が発見。死体の損傷は激しく、かろうじて
身元の特定はできたものの、その場でははっきりと死因はわからなかった。
厚史の死体発見後の30日、隣人からの通報により唐澤一家の三人に対し事情聴取が行われた。父・唐澤洋は警察の取り調べに
対し、「家出したっきり何日も帰ってこないことは頻繁にあった。」とだけ供述し、その後は沈黙を貫いた。長男・貴洋は「
悪魔がやれって言ったんだ」と犯行を認めるような発言をしたが、事件の詳細については一切語らなかった。そして、母・厚
子は前述の暴行については明かしたものの殺害したか聞かれると、突然泣き出したため聴取が困難になった。警察は検死結果
が判明していないこともあり、この日は大人しく引き下がった。しかし、その日の深夜、何者かによって死体が盗難され、検
死が不可能になった。これを発端として洋は「厚史は地元の悪いもの達に、恐喝され、多摩川の河川敷で、集団暴行にあった
翌日に親にもいえず自殺しました。」と殺害を否認。厚子、貴洋も追随した。
不起訴処分[編集]
当初、一家による暴行死と見られていたものの、結局不起訴となった。理由としては十分な検死が行われないまま死体が盗難
に遭い、死因の特定が不可能になったこと。それにより、一家三人が厚史自殺説を唱えたこと。その後、十分な証拠が集まら
ず、捜査が停滞してしまったことが挙げられる。また、24日に厚史がチーマーによる暴行があったという目撃証言が複数寄せ
られたこともあり、暴行のみでの起訴もされなかった。