1 無名弁護士 2018/01/01(月) 16:47:25.83 ID:2/6Ko2t70
あれは今から二十三年もの前の話になるだろうか。
恩師・河野一英先生の孫である唐澤厚史くんのお葬式に行ったときのこと、
私は先生に挨拶したあと旧友たちと少し話したあと、催したためその場を離れた。
式場に戻ってきた時、ふと違和感を感じた。
確かに服装が変だったり騒がしかったりする場違いな者はいないが、誰も悲しんでいないのだ。
皆―両親でさえも、談笑したり、くつろいでおり、「人が死んだ」という雰囲気を全く感じられなかった。
一度気になりだすと納まらず、
私はついぞ、河野家の関係者の男性に「ここは厚史くんの葬式場ですよね。」と訪ねた。
帰ってきた言葉に私は戦慄した。
「厚史は不良だったんです。」
確かに不良というのは社会的に疎まれる存在だ。
しかも、当時の不良は暴行や喝上げなど日常茶飯事であり、彼らが亡くなって悲しむ者は少なかったろう。
しかし、実の家族・親族ですら死に対してなんら同情心を持っていないことに恐怖と吐き気を覚えた。
私は式が終わり次第さっさと帰ることに決めた。
恩師に対して申し訳ない気持ちも十分にあったが、この場にいる不快感から逃げ出したいという思いが勝ったのだ。
ふと粛々と一人座っている青年を見つけた。彼は厚史くんの兄・唐澤貴洋だった。
私はこの場にいる親族の中では唯一まともな人間であろうと思い話しかけた。