397 懺悔の歌 (教育・進学コンサルタント 高橋嘉之) 2018/02/02(金) 20:22:12.16 ID:DS27DbTT0
小学校5年
学校の成績は学年レベルでも下から5本に入るくらいの超劣等生。
とにかく机に向かうのが嫌いなタイプで、授業もチンプンカンプン。
近くの補習・進学塾に通うが、勉強というより、塾に遊びに行く感じだった。
小学校6年
今ほどではないにしろ、やはり中学受験の話が周りからちらほら聞こえてくる。
悪友Aは小学校4年までは当方と似たような成績だったが、いつからか受験体制に入っていたようで、そのAから何気なく受験を勧められる。
(当方や親は中学受験の知識は全くなし)
受験勉強もしたことがないのに、「最低でも巣鴨や海城にいく」と親に言ったらしい。
塾に相談に行くが、鼻であしらわれる(笑)。
塾先生:「お子さんは偏差値4にも達していませんので、今から準備しても特別支援学校くらいでしょうか?」
夏の暑さ厳しい時期に、受験の素人がのこのこと・・・。
今思えば、塾側も何で?って感じだったでしょう。
親も知らないような学校、しかもようやく塾側の口から出てきた学校で、今でも親には恥をかかせてしまったなーと懺悔です(笑)。
これ以降、我が家では当方に関する中学受験の話は一切ありませんでしたが、
『中学受験』という言葉を知ってしまった親が、弟の時は意識するのはしごく当たり前のことでした。
(とりあえず、弟は、当時有名だった四谷大塚の準会員にはなれたようでしたが・・・)
尚、悪友Aは海城中に合格し、周りはみんながびっくりしていました。
その他、開成・麻布・慶應中等部・ラサールに進学した同級生がいました。
中学校1年
地元は教育熱の高い比較的安定した地域でしたので、公立中学でもそんなに雰囲気は悪くなかった。
ただし、家は小学5年の弟という中学受験生を抱え、受験というものがようやく自分にも感覚的にわかってきた。
勉強のできなかった小学生の当方でも東大や早稲田・慶應くらいの名前は知っていたが、
当時の当方の理解では、
「早稲田や慶應がいい大学ということは、学校で言ったら真ん中以上にいればいけるレベル?」という程度の認識。それが・・・・。
中学生になって、現実が少しづつわかってきた。
「このままではとんでもない状況になってしまうのではないか?」
「弟の中学受験が成功したら、兄としての面子は・・・?」
こんな何とも言えない不安感から、確か中学1年の夏に、弟を〇すための超長期勉強計画表を作ったのを覚えています。
(中身はどうだったか忘れましたが・・・)