23 無名弁護士 2018/02/11(日) 13:08:06.42 ID:xi7wMKwB0
>>20
>>20
高校時代、都立新宿山吹高等学校に通っていた当職に、この時、一つの悲劇が起こりました。
1995年8月25日、当職の弟、唐澤厚史が自殺したのです。
亡くなる前日、唐澤厚史は地元の悪いものたちに資金集めのためにパーティ券を売りつけるように迫られていました。
真面目で人が良い厚史は、結局、パーティ券を売りさばくことができず、
悪いものたちから集団暴行にあって、その翌日、人生を悲観して自殺したのです。
厚史は苦しみ抜いた「死に顔」をしていました。
当職が17、厚史が16のときでした。
この時が全ての基点でした。
当職は初めて「悪の存在」を認識しました。
世の中には、人を傷つけても平気な悪い人間がいるんだと、当職の心に深く刻まれました。
当職は自分が「悪」となり
弁護士バッジの権威で弟のような犠牲者を出さない、人が弁護士に幾らでもカネを払う優しい社会をつくりたいと思うようになりました。