62 『懐妊』 2018/06/24(日) 20:39:03.61 ID:m/xhHWCI0
『お前は河野の家を継ぐのよ、貴洋』
厳しくも優しい母に、何度も言われた言葉。やや時代錯誤にも感じるが、当職の産まれた一族の規模を考えれば当然のことであった。
周囲からはかしずかれ、面倒なことはすべて周りが肩代わりしてくれる日々。次期当主だから当然なのだと当職は思っていた。
しかし、その言葉の真の意味を理解するのは、当職が成長し、最愛の弟との別れを告げた後であった。
バスの窓越しに見える火葬場が遠ざかっていく。立ち上る煙の中に、当職の愛する弟がいるのだろう。金属製の台の上に広がった灰とカルシウムの塊が弟だとは、考えることが出来なかった。
幼いころから健啖家として知られる当職だが、その日出た食事は一口ものどを通らず、青い空を控室の窓から見上げていた。
葬式も終わってしばらくすると、これまで通りとはいかないまでも、やや落ち着いた日々が始まった。やることの多い大人たちからすれば当たり前なのだが、当職にはまるで理解が出来なかった。
何より大切な弟。半身を失った喪失感に、当職は学校へ行けなくなってしまった。
周囲は当職をなじるでもなく、ただ憐みの目で見ていた。その視線がたまらなく嫌であったが、文句を言うことさえおっくうであった。
そして、引きこもってから3か月ほど経ったある夜。赤子の授乳を思わせる水っぽい音と、ぬるま湯にくるまれるような暖かな違和感に目を覚ます。
暗闇で一瞬何が起こっているか理解が出来なかったが、枕もとのランプをつけ、音の発生源、腹部にかかったやけに膨らんだ布団を払いのけた時、そのおぞましさに言葉を失った。
生ける伝説、会計士の雄、敬愛する父――洋が当職の自身を嘗めしゃぶっていたからである。
『父さん、何するの。やめてよ』
逃げ出そうにも、洋のずっしりとした重みを持ち上げる体力は当職に無かった。必死で騒ぎ立てても、まるで全員がこのことを知っているかのように、誰も助けに来ない。
もがいても喚いても、動きが止まることはない。この異常な空間にあるというのに不気味なほどに萎えない当職の自身を、洋の肛門が飲み込むまでは、当職はまだ「正常」のうちにあった。