【高橋嘉之殺す】高橋嘉之★49【株式会社バリューラウンジ】 (1001)

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48 元広尾 学園横領事務局長 島田 真樹の恥ずかしい匿名手紙十通目 2011年島田君広尾のネット担当 実態は違法性マッチポンプしてた (sage) 2018/06/22(金) 08:05:28.73 ID:3AqXmERT0

学校法人創志学園理事長 広尾学,園前理事長 大橋博(兵庫県芦屋市三条町20−9)
広尾学,園 理事長池田富,一さん (板橋区東坂下2-10-6-601)
なぜあなたたちは島田真,樹のことを隠す、逃げる、知らないフリをするのか?
あなたたちには正直に答える義務がある
https://imgur.com/a/z3jEz
https://imgur.com/a/k49IQ
https://imgur.com/a/klHGPFk
https://imgur.com/a/9Fe0yW1
池田富,一くん
「島田真 樹さんには匿名手紙を送るやんごとなき理由があった」というならあなたのようなアホは広尾学,園に必要なし 
NEO広尾はあなた方の退陣させます 宣言!

前略

正確には、この手紙が10通目となります。では以下です。

『 高橋氏のブログを拝読して何点か感じたことがある。
まず、ブログ文章中で高橋氏が“エデュの過去の延長線上にある”と述べられた“にかい” 氏による高橋氏への注視の履歴について、
エデュの時間軸を少なくとも2011年までは遡る意識を持たれたことは正しい。そして、かなりターゲットに近づいて来られた印象は強い。
ただ、もっと視点を拡げて観られた方がよい。
つまり、エデュだけが“にかい”氏を名乗る人物による高橋氏注視の舞台だったわけではないということ。
忌憚なく申し上げれば、このことは、当時、高橋氏がエデュ上だけでご本人の言論を展開されていたわけではないことに起因する。
あくまで私が推理する人物が“にかい”として登場した舞台がエデュであっただけである。
そしてなぜ、そのように別人に成りすまして登場したかは、 エデュ以前の、またエデュ以外での足跡を消して置くという意味もあったからだと思われる。
そこがわかると誰であるか特定される確率がぐっと高くなるからだ。実はこのことの証左にもなる例として、“にかい”氏当人の直近のブログ“四方山話”に“せいれんなエデュに向かう”という表現があった。
これは、このブログを読むであろう高橋氏の意識を、“エデュに登場するにかい”として留めさせておきたい意図の現われともとれた。
高橋氏の視野がエデュ以外に拡がることを嫌がっているとも取れる。
次にブログ文章中で、“私達家族の身近にいた存在”というのは、私の推理する“にかい” 氏ではない。
さらに高橋氏の職場または元の職場関係者でもない。
またブログ文章中の、“その「もう一人」という者が連携して、同じ「にかい」というハンドルネームで投稿していた”という高橋氏への予想への私の回答は否である。
“にかい” なるハンドルネームが、そもそもマルチハンドルの産物であることを称して、また、同時に性別を粉飾していることをもって“紀貫之”と呼んでいる。
“にかい”氏は一人である。では、そのもう一人は誰なのか?ということになる。
高橋氏が推察されている通り、“にかい”の周囲に何人かの者がいることは確か。
その周囲にいる者の一人。例えば、今までの高橋氏に批判的な投稿を思い出してもらって、その中に、法律やあるいは法学に相当精通している者が登場することに気付かれていると思う。
その人物は少なくとも“にかい”氏ではない。
最後にブログ文章中の“その二名は性別は別”という箇所については、上記で述べた通り“にかい”氏は一人の人物と考えているので否である。

ことの発端が何であるか、どちらが正しいか、間違っているか、それはここで自分が取りざたする問題ではない。
普通に考えればどちらにも、なんらかのことはあるだろう。
おそらく水掛け論になるのだろうとも思う。
先にどちらが何をしたかという論点ではなく、その経過の中でとった手段において、他を個人的に決定的に貶める手段は問題がある。
その手段の非は認めるべきではないか、というのが自分の申し上げていること。
特に特定個人を晒すことで、晒された人物本人はもちろん、家族にも、さらに仕事にも影響が出てしまったとすると、かつて何々をやられたから、の水掛け論のレベルを逸脱しているのではないか。
自身が同じように晒されたらどうなるか?“にかい”氏らは想像したことはないのか?
私が推理する人物が“にかい”氏なら、その正体が晒された時の影響はけして小さくない立場のはずだろう。
それと同じことを反対者にはしてよいというのか?反対者の家族のことなら平然とそれができるのか?それはもはや私刑だと思える。
日本の法律は私刑を許しているだろうか?何人に対しても許されていないはずだ。
そのような決定的な手段の誤りがあることと、ここに至る争いの経緯の水掛け論を並べては論じられない。

告発される前に、自ら“にかい”氏は手段の誤りを高橋氏に伝え、詫びるべきだという考えは、現在も変わらない。


以上が知人からです。
ところで、私の方から一言。
現段階では、“にかい”氏は、私の手紙自体が高橋氏のブラ フだと半ば思っている節があります。
それをどのように事実と理解させるか、それを自分は今思案中です。

以上です。

草々

平成26年5月吉日
一読者より
(文責:島田 真樹くんでした しかも知人伝聞でなく自作自演)