【松本智津夫殺された】雑談★108【さらば旧尊師・麻原彰晃】 (1001)

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110 無名弁護士 (sage) 2018/07/06(金) 19:11:10.48 ID:DflhrTkK0

>>93
即全ポアを決断する智津夫ほんとすき
・石垣島セミナー
1990年2月の第39回衆議院議員総選挙で、全員が供託金没収の惨敗となった。
そのため、教団の組織が一時ガタガタになっていた。 脱会者が続出したため、
1990年4月に「オースチン彗星(英語版)が接近しているために、日本は沈没するが
オウムに来れば大丈夫」と宣伝し石垣島に連れて行き石垣島セミナーを開催した
参加費は30万円。1270人が参加、約500人が出家し、崩壊寸前だった教団を盛り返すことに成功した。
これはその後「ハルマゲドンが起こる、オウムにいないと助からない」と危機感を煽って信者をかき集める方法の原点になった
このセミナーはただの資金集めのための大芝居であると思われていた。
しかし一連の事件の発覚後、セミナーの当初の目的はオウム真理教が計画をしていたボツリヌス菌によるテロからオウムの信者を守ることであったと発覚した

・全世界ボツリヌス菌散布計画
1990年3月、麻原は幹部20名ほどを集め、「現代人は生きながらにして悪業を積むから、全世界にボツリヌス菌をまいてポアする」
「中世ではフリーメーソンがペスト菌をまいた。それでヨーロッパの人口は3分の1か4分の1になった。今回まくものは白死病と呼ばれるだろう」
「本来ならばこれは神々がすることであるが、神々がやると残すべき人を残すことができないので我々でやる。オウムの子供たちを残していく」
として、ボツリヌス菌・ボツリヌストキシンによる人類大量殺戮を計画。同年4月に石垣島セミナーを開催し、
教団信者が沖縄県石垣島に集まっている間に、毒を散布する計画があったが、培養に失敗、中止された
最初は信者を逃がす計画すらなく、信者もろとも皆殺しにするつもりであったが上祐史浩や早川紀代秀が抗議したので逃がすことになった