26 無名弁護士 2018/11/26(月) 21:43:33.32 ID:sMWaYG3d0
唯一、泣きを見るのは、山一證券(仮名)の役員・社員だけという、ある意味、国としては、すべての責任を山一(仮名)だけに押し付ける絶好の手法であったわけだ。
ここに、四大証券の一角という一流企業(仮名)を決して国は潰さないという神話は終わりを迎えることになった。
北海道拓殖銀行(仮名)、山一(仮名)は、まさにそういう時代に突入したことを世に知らしめる、スケープゴートにされてしまったのである。
そして、私たちバブル入社組のそれまでの規定観念「業界大手の上場企業(仮名)なら一生安泰」が、もろくも崩れ去ることになる。
さて、ここまでは山一證券(仮名)の表の「自主廃業」の姿である。
裏の「自主廃業」の話をしよう。
確かに顧客(仮名)資産を責任をもって返還するという使命感もあった。
しかしながら、1998年3月までに完全消滅するのがわかっている中、一番馬鹿を見たのが支店にいる従業員である。
本社のエリート集団であるボントレ(ボンドトレーダ:債券売買)やトレーダー(株式売買)部門等は、顧客に返還する作業がないわけである。
東大(仮名)・京大(仮名)出身のエリートは、それまでの外資とのつながりで、いの一番で、沈む船「山一(仮名)」から逃げ出し、早々に再就職先を見つけて辞めていく。
支店従業員は、当然、顧客資産返還という業務があるため、転職活動などほとんどできない。
そういう従業員がいるにも関わらず、これらエリートはお得意の自己保身を優先する行動をとったのである。
1997年11月最終土曜日から年末までのわずか一か月の間に、約1000名のこれらエリートが、山一證券(仮名)の最後を見届ける前に、さっさと辞めて転職していく。
実にふざけた話に、当時は憤慨したものだ。
「悔しい!本社(仮名)のエリートはここまで性根が腐っていたのか?」
当時の支店従業員のほとんどがそう思ったことだろう。