4 NEO高橋 真実の備忘録 2018/07/28(土) 10:34:09.59 ID:N2KOy7ZI0
PART2株式会社インターコンシェルジュ 代表取締役CEOから皆様へ
https://archive.fo/7Rv4e
昨日のブログに続き、今回は、私のおよそ50年の人生経験の内、小・中・高・大・就職までの様子を綴りたいと思います。
この50年の間に色々ありました。
小学生のころは、学校でも3本の指に入るくらい、どうしようもないくらい学業成績も運動能力のない、苛められっ子で、何一つとりえのなかった自分。
偏差値は確か28くらいでした。
そして、好きになる子は、なぜか学校の人気者で、頭もいい。
小学6年で、周りに中学受験をする友人がいて、「自分も中学受験したい」と、中学受験の何たるかもわからず親に意思表示。
中学受験の実情を知らない親は、6年の夏くらいに塾の先生に相談。
「今更ですか?」と言わんばかりの対応をされ、「偏差値28では、郁文館中学(仮名)くらいしか有りません」と言われ、親には大恥をかかせてしまった自分。
ちなみにその郁文館中学(仮名)とは、現在は、ワタミ(仮名)社長で参議院議員にもなった渡邉美樹氏(仮名)が学園長の学校です。
居酒屋チェーンでは成功したものの、その学校の改革は進んでいるのかはなはだ疑問。
未だに、偏差値40くらいの学校です。
唯一のとりえは、馬鹿がつくぐらい憎まれ口が達者で、無謀な突進型人間。
これって、果たしてとりえと言えるものなのでしょうか?(笑)
好きな子には、クラスの者に載せられて、フラれるのが解かっていても告白。
当然、撃沈。
多分、クラスでも絶好の嘲笑の対象だったのでしょう。
そんな自分が大きく変わったのは中学2年から。
地元に当時有名だった進学塾が教室を開き、そこに通うようになり、その進学塾の英語の先生に勉強の楽しさを教わり、あれよあれよと偏差値も上がり、60〜70くらいになりました。
この時の経験が、私の「偏差値40〜50の子供を確実に65以上にできるメソッド」として、受験コンサルティングの元になりました。