【唐澤貴洋殺す】雑談★114【SEXSOCOカラッキング】【唐澤洋生誕祭】 (1001)

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215 無名弁護士 2018/08/14(火) 23:29:12.63 ID:X0zJVA8S0

エル・カンターレ祭
この信仰の本尊の名を冠した「エル・カンターレ祭」という祭典が、毎年12月に教団にて挙行されている。7月の「御生誕祭」と合わせて二大祭典とされている。
この祭典の目的は、主エル・カンターレに1年間の感謝をささげるという名目であるが、この時に行われる大川隆法の法話が、その1年の世情の総括と翌年の予言的情報を含み、これを目当てに会員・信者以外の参加者もある[16]。

第一回目は1991年12月26日東京ドームで行われ、「新世界建設」の題名で大川隆法の法話が話された。この時は多くの報道陣が取材に訪れ、この内容は翌日12月27日のテレビの朝のワイドショー等で放映された[17][18]
この祭典は毎年行われており、2012年では12月5日東京国際フォーラムにて、法話「地球的正義とは何か」の内容で行われ[19][20][21][22]、その後全国のテレビ・ラジオ局で放送された[23][24]。
また、2013年では12月14日幕張メッセ国際展示場にて、法話「智慧の挑戦」の内容で行われ[25][26]、その後全国のテレビ・ラジオ局57局が放送した[27]。

東京ドームで行われた祭典「エル・カンターレ祭」と「御生誕祭」は、現在まで10回あるが、このうち7回にて、霊天上界でのエル・カンターレの姿を再現するとして、総裁 大川隆法は特殊な法衣をまとった姿で現れ、講演・法話を行った[28]。
この法衣姿の一部が後の「エル・カンターレ像」の原型となった

エル・カンターレ像
宗教法人・幸福の科学では、信仰の対象であるエル・カンターレを象徴するものとして代理本尊を設けている。代理本尊にはエル・カンターレ像や家庭用本尊等がある。
1997年1月1日には、総本山・正心館でエル・カンターレ像の開眼式が執り行われた。さらに、大悟記念日の1981年3月23日から数えて7777日目にあたる2002年7月7日には、総本山・正心館の礼拝堂に「大エル・カンターレ像」が開眼した。
家庭用本尊は、1992年12月以降、一部の信者に下賜されている[29]。家庭用本尊には、幾つかの形と大小のサイズがあり、3万円から100万円[30]などのお布施奉納目安で下賜されている。家庭用の「布教所エル・カンターレ像」も下賜されている[31]。

他宗教での「エル・カンターレ」
桃山学院大学社会学部教授 沼田健哉[32]の研究によると「エル・カンターレ」の用語の使用は、幸福の科学が発足するより10年以上前のことで、
GLA創始者の高橋信次が、1976年の3月21-23日、和歌山での講演『魂の仕組みと正法』において「釈迦の生命体」の名称として用いた[33]。
しかし高橋は、その直後「エル」の部分を外して「カンターレ」との呼称に替えている。
ただし「エル・カンターレの土地」「エル・カンターレの居る所」を意味する「エル・カンタラー」(語尾の変化形)では、「エル」の部分を外さずにそのまま用いていた。
この流れから、GLA系諸教団の幾つかで「エル・カンターレ」の用語を用いていた[34][35]が、その内容・意味する事柄は、それぞれ異なっている[36]。