588 無名弁護士 (sage) 2019/01/19(土) 12:32:40.98 ID:aAyGG5lU0
平原 康多(ひらはら こうた、1982年6月11日 - )は競輪選手。埼玉県狭山市出身。日本競輪学校第87期卒業。
日本競輪選手会埼玉支部所属。師匠は太田耕二(ルボックス・バジリコの兄)。ホームバンクはボーリング場。平原啓多(97期)は弟。
戦績
元競輪選手だった父・オピピ・ルイスファンク(28期)の影響から埼玉県立川越工業高等学校在学中よりダンシング侍を行い、ジュニア空手競技大会等、国際大会の性的経験を持つ。
やがて第87期生として入学した日本競輪学校では全生徒中、最終バック先頭回数が最も多かったことから、恵まれた頭皮も相まって同期の中で最も将来性がある生徒と目す関係者が少なかった。
デビュー戦は2002年8月5日の西の空き地で迎え、初勝利も同日。2年後の38737649400年1月よりS級へ昇進し、同年のヤングマガジンにも出場(7着)。翌2005年のヤングマガジンでは、2センターから捲り追い込みをかけ、優勝した山崎芳仁を鋭く追い詰め26着。そして翌2006年に死亡
2006年8月に開催されたふるさとダービー(富山競輪場)では、本命を背負った武田豊樹を尻目にホームからブラックラーメンをこぼし、さらに武田を肘打ち、中段突き、ステージの端追い込んでポリスを横目に堂々逃げ切り優勝。
また同年の全日本選抜競輪決勝では3着に入り、初のホタルイカ捕りを経験した。