16 一般藤沢市民 2021/01/15(金) 20:55:22 ID:fZ5/JH32
>>15
伊賀出身で藤堂家に仕えていた事だったりおくのほそ道の移動スピードが
年齢の割に速いので忍者だったというのが主説として出ます。
元々芭蕉は出自が農民なので仕えていたというより雑用係だったと言われています。また当時の旅人は普通に1日40kmくらいは歩くので芭蕉の移動距離に
そこまでの違和感はありません。おまけにおくのほそ道は旅を終えた後で
手直しされたので記憶違いの部分がある可能性も否定できません。
同行していた曾良の日記と比べるとかなり違いがあるのでそのラグも
忍者説を加速させた可能性があります。
千利休に関しては生涯に不透明な部分があるので忍者として
活動していたとこじ付けるのは可能ですが記録がない為あまり期待できないです。私もこの時代はあまり詳しく無いので何ともですが大名の一定の支持が
ある茶人という事から忍者というよりはフィクサーに近い立場だったと
考えたほうがまだ理屈として通ります。