145 塘懌䝿拝 2013/08/22(木) 18:18:37 ID:G59amt2s
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
各末尾記載の証拠によれば,争点に対する判断の前提として、以下の事実が認められる(当事者間に争いがない事実及び当裁判所に顕著な事実を含む。)。
(1)本件建物が建築された当時,本件建物にはD,E,原告及びFが居住していた。昭和55年には原告が結婚し,原告の妻も本件建物に居住するようになった。昭和62年ないし昭和63年ころには,Fが結婚して本件建物から転居したほか,当時高校生であった被告Cが本件建物に居住するようになった。被告Cは,平成2年ころには本件建物から転居した。平成3年12月24日にはDが死去し,本件建物には,E,原告及びその妻の3人が居住する状態になった(甲8,乙25,26,原告,被告C)。
(2)被告Bは,本件建物が建築された当時,既に他所に生活の本拠を置いており,その後は海外赴任を続けていたが,平成6年には海外赴任から帰国し,名古屋市内に居住するようになり,Eがしばしば被告B方を訪問するようになった。その後,被告Bは,平成7年12月にはオーストラリアに移住し,ここに生活の本拠を置くようになった。Eは,平成8年3月にオーストラリアの被告B方に一時滞在し,いったん帰国したが,同年11月には再び被告B方を訪れ,ここに滞在するようになった。その後,原告は,妻と共に沖縄県石垣市に移住し,ここに生活の本拠を置くようになり,本件建物は,Eや原告夫婦の家財道具が残されたまま,空き家の状態になった(甲8,乙25,原告,被告B)。
(3)Eは,平成9年5月にオーストラリアから帰国し,本件建物に1人で居住するようになった。このころから,Eには,高齢でうつや痴呆のような症状が出るようになったため,被告B夫婦は,本件建物に滞在してEの面倒を見るようになった。本件建物の鍵は,Eが持っていたものを複製して使用するようになった。平成11年ころには,被告B夫婦がオーストラリアに戻っている間,被告Bの二男夫婦が,被告Bの依頼に基づき,本件建物で一時的にEと同居した。このころからEの葬儀が行われるまでの間,原告が本件建物に立ち入ることはなかった(甲8,乙25,原告,被告B)。
(4)やがて,Eの症状が重くなり,夜間の徘徊などが始まったため,被告Bは,平成12年2月にEを検査入院させ,同年5月からは,Eを八王子の施設に入所させた。その後,Eは,西早稲田の施設を経由して,本件建物の近隣にある施設に移った。Eは,平成14年3月に入院した後,同年5月には本件建物に戻り,その後,平成15年1月に死去するまでの間は,被告B及びその妻が中心になって在宅介護を行った。その際,被告Bは,浴槽の改装や手すりの取り付けをしたり,原告が残置していたテレビや冷蔵庫といった電化製品を買い替えたり,いすを新調したりした(甲7,乙14,25,原告,被告B)。
(5)被告B夫婦は,本件建物に滞在しながら,上記(4)のとおりEの介護を行っていたが,Eが八王子の施設から西早稲田の施設に移った際に,しばらくオーストラリアに帰国する必要が生じたため,当時横浜に居住していた被告Cに依頼して,被告Cが本件建物に居住することになった。そこで,被告Cは,平成12年11月1日付けで本件建物所在地に転居した旨の届出をし,そのころから本件建物に居住するようになった。被告Cは,本件建物の3階の6畳の洋室に家財道具を持ち込んで生活していたが,他の部屋にはほとんど私物を置いておらず,台所,浴室,洗面所以外の部屋はほとんど使用することがなかった。もっとも,自室として使用している以外の部屋に施錠はされておらず,被告Cが自由に出入りすることができた(甲4,7,乙14,25ないし27,原告,被告B,被告C)。