【唐澤貴洋殺す】雑談★133【メラゾーマで殺す】 (1000)

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128 - 核撃てば尊師 2014/04/02(水) 05:02:34 ID:5O5DXq1M

野村貴仁
2011/08/29 at 4:51 AM
過去のビックネームからくらべたら大したことはないが、数字だけを観て判断する素人に中途半端と言われる理由はない。優勝争いしてる天王山ですべて抑える投手こそ実際は価値があることをあなたは理解しているのか。私が投げている当時はパリーグはほとんどテレビ放送のない時代だった。入団当時先発ローテションとして期待されていたし2年目に3度先発しているが、それなりの投球をしていることを知っているのですか。リリーフに左が誰もいなかったから仕方なくリリーフに回ったのである。数字がつかないから、現役が終わると今のように言われることがわかっていたから、何度、仰木監督に先発に回してほしいと頼んだか事か、先発に回ったら10勝以上は出来ると仰木監督も認めていてくれていたが、左がいないから頼むと言われ、俺の言う通りにしたら金があがるといわれて、銭金の問題ではないのです。正論を何度も言ったのですが・・・96年のシリーズで日本1になった時には、すでに椎間板ヘルニア、肘は尺骨神経麻痺、94年の終盤には走れないほど肩を痛めて半年投げれなかった。それでも169センチしかない私が97年のオールスターのそうそうたるメンバーの投手陣の中で最速の152キロを記録した事実をあなたは知っているのですか・・・今のあなたみたいに数字だけせしか判断されないとわかっていて投げていた、私がその苦悩をどれだけ我慢して・・・投げていたか・・・今でこそセットアッパーも試合が終わると皆に握手されているが・・・私の当時は先発と抑えしか握手をされないことで、いくら勝ちゲームになげても満たされない気持ちで投げていたか、21イニング3/2連続奪三振中と無失点中に途中降板させられた私の気持ちが・・・誰も気が付いていなかったが江夏さんの持つ連続イニングの記録にせまっていた私のきもちが・・・当時8年目での実際の私はサラリーは2億円で何人目かのスピード記録だった事実を修正申告をして番付にでないようにしていたことを・・・私が調停をしたから今の現役のセットアッパーのサラリーがあがったのではないのですか・・・違いますか・・・私は晩年コントロールが悪くなったが・・・リリーフでの無理がたたったからである。先発をしていたら私はまだ現役で投げている。胸椎ヘルニアで医者に車椅子生活になると言われたので左を生かして現役にしがみつくようなことはしなかったのです。名誉棄損で提訴も視野に入れる。