106 名無しさん@UVERworld BBS 2014/09/29(月) 17:30:03 ID:sSeBX0OA
洋と厚子の間に生まれたのが貴洋であるが、この貴洋と厚子との間に生まれたのが厚史である。
つまり貴洋は実の母親と肉体関係を持ち、厚子も厚子でそこで授かった子供を出産したのだ。
面白くないのは洋である。
厚史は自分の妻の子供であるから自分の子供であるとも言えるが、貴洋の子供であるから孫とも言える。
洋は終生厚史のことを「我が息子にして孫」という意味で孫子(まごこ)と呼び忌み嫌った。
近親相姦のためか生来精神薄弱であった厚史は洋による冷遇と周囲の視線に耐えられず遂に発狂、十五歳にして自ら命をたつことになる。
貴洋は対照的に洋の溺愛ともいえる愛を受け何不自由なく育った。
一説では洋と貴洋の間にも肉体関係があったとされている。この場合、貴洋はなんと実の父と母、その両方と交わったことになるのだ。
洋が唐澤家当主を退くと貴洋が当主につき唐澤家は隆盛を迎える。