33 エッヂの名無し (L20 jxzN-6xDk) 2024/08/10(土) 22:41:28.653 ID:S/ItpUehT
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何もかも順風満帆に見えた道川であったが、突然の災難が日本国内で起こる。9月26日付の東京スポーツが、一面見出しで「発覚 八百長 競馬疑惑」と大々的に報じる。紙面には「地元○暴と黒い噂 国外追放へ」「目立つクサいレース」「日本復帰絶望」と、道川をまるで犯罪者扱いするような文字が紙面上に躍り、シンガポール競馬場トップの「ミチカワの身辺に黒いシンジケートの噂がある」というコメントも引用した。しかし、この記事はまったくの事実無根であった。
元々は道川と些細なことで不仲になった日本人馬主が道川の悪口を現地で触れて回ったことにあり、この中に八百長を持ちかけられたというのがあった。その噂を競馬記者の加賀谷修[3]が聞き付け、「サム・オカヤ」のペンネームで東京スポーツにネタを売り込んだ。尚、情報提供の見返りとして東京スポーツから支払われたのはたったの8万円であった。
加賀谷が指摘したのは1989年5月7日の第7競走であったが、黒い疑惑とされたレースで道川は逃げ切り勝ちを収めていた。急遽、道川は日本に帰国。東京スポーツを相手取り名誉毀損による損害賠償を求める訴訟を起こし、競馬場トップの発言が捏造だとということが明らかにされ、公判中に東京スポーツはシンガポールに謝罪文を送付。当然、道川の八百長の事実は否定され、2年後の1992年9月30日に東京地方裁判所は全面勝訴の判決を下し、東京スポーツに350万円の賠償金と謝罪文の掲載を命じた。東京スポーツは控訴せず、裁判は結審した。
しかし、このような記事が掲載されたことによる本人の精神的ダメージは計り知れないものがあった。地元の益田では記事の内容を否定しても誰も信じてもらえず、道川は「妻子には辛い思いをさせてしまった」と嘆いた。また裁判への出廷のため日本とシンガポールを頻繁に往復する生活を強いられ、体調管理やスケジュール調整の面でも悪影響を受けた。
同年は記事が出てから年末まで4勝しか挙げられず、リーディング争いから大きく後退し4位に終わった。1991年1月にはアメリカ・サンタアニタ競馬場に1ヶ月滞在したが、騎乗馬が集まらず1度騎乗したのみにとどまった。