645 エッヂの名無し 2024/12/02(月) 22:27:24.036 ID:A611FaGSu
1966年には紅衛兵により成都から北京に連行される。1967年7月9日の批闘会では7度地面に叩きつけられ、肋骨を2本折られ後遺症で下半身不随となった。その後は江青の医療服従専案での監視下に置かれ監禁、病室で全ての窓を新聞紙に覆われたまま約8年間を過ごした。
1974年9月には直腸癌と診断された。彭徳懐は鎮痛剤の注射を拒否され、下血と血便にまみれた状態のままのベッドとシーツに何日も放置されるなど、拷問に近いものであった。死の直前に「塞がれた窓を開けて最後に空を一目見せてほしい」と嘆願したがこれも拒否され、同年11月29日に没した。彭徳懐の死亡カルテには「王川・四川成都出身・無職」と無関係な名前に変更されていた。同じく迫害死に追いやられた劉少奇や陶鋳同様に「病死」と公式発表された。