828 エッヂの名無し (L20 GGhj-4fGZ) 2024/12/21(土) 12:41:49.276 ID:bx1hQ03/j
>>807
松戸競馬場は狭隘でしかも曲がりくねった走路を持つ、馬券黙許時代には施設も運営も粗末だと批判を受けた競馬場である。また払い戻しのごまかしなどの不正が多く行われ、騒動が多く持ち上がり、競馬会がヤクザ・ゴロツキを雇って観客のクレームを封殺するなどして、世間の指弾の的になった。1908年 (明治41年) 10月に馬券が禁止され、時代は補助金競馬時代に移り、総武競馬会は社団法人松戸競馬倶楽部に組織替えして競馬を行った。
1919年 (大正8年) 、松戸競馬場は日本陸軍に接収されて陸軍工兵学校敷地になり、松戸競馬倶楽部は千葉県中山村(現在の市川市)に競馬場を移転し中山競馬倶楽部に改名する(旧中山競馬場)。したがって松戸競馬場は現在の中山競馬場の前々身にあたる。
松戸競馬の不正として報じられた不正はマスコミには多種多様な手口が書かれている。第一回開催では馬券の記載が暗号ペンチというもので印をつけただけなので馬券を買った観客には記載内容がわからない。観客が買った馬券が当たったので払い戻しを受けに行くとその馬券は違う馬の物だと言って払い戻しを拒否したという[17]。
批判を浴びて1908年(明治41年)の開催では馬券には開催日、レース回数、馬番が明記されるようになった[18]が、競馬会の人間が発売締め切り後にこっそりと馬券をポケットに入れ(売れてもいない馬券が売れたことにする)、あるいは競走が始まってから形勢を見て勝ちそうな馬の馬券を競馬会の人間が買うといったことも行われたという。いずれの手口でも正規に馬券を買った観客には払い戻し額が正規の計算より低額になるわけである[7]。
これらの不正に観客が事務所に抗議に行くと競馬会は雇ったゴロツキを使ってこれを封殺したという[17]。