83 エッヂの名無し 2024/12/30(月) 21:28:08.716 ID:2OV4GKtTi
吉田茂回のガチ勢からの回答
https://donoso.hatenablog.com/entry/2024/12/13/183000
NHKが11月25日放送した「映像の世紀バタフライエフェクト 吉田茂 占領下のワンマン宰相」を観た。占領期に焦点を当て、内閣総理大臣吉田茂の統治を追ったものである。
テレビ番組にあまりそうしたことを言うのも詮無いことではあるが、多少この時期の日本史に関心を持つ人間として色々と疑問を抱く描写のある番組であった。細部はさておくとしても、占領期吉田政治最大のキーパーソンとして白洲次郎を描くというストーリーは、あまりにも現実離れしているのではないかと思わざるを得ない。
もちろん歴史の描き方というのは解釈が伴うため、そうした方法もあり得ないわけではない。ただし現時点で明らかになっている事実に基づいて描写を行う必要があろう。その中でも、一点わかりやすいエピソードについて看過し得ない描写が存在したので、本エントリーではそれを論じてみたい。サンフランシスコ平和条約の受諾演説が日本語で行われた経緯に関する説明である。
まず、この受諾演説とは何だったのか。1950年頃から本格化した講和交渉を経て、1951年9月4日から8日にかけて開催されたサンフランシスコ講和会議において、日本国政府全権団は連合国48カ国との間に戦争状態を終結させる平和条約(サンフランシスコ平和条約)に署名し、東側諸国、インド、ビルマなど一部の国を除く各国との間に講和を成立させ、占領状態からの脱出に道筋をつけた。会議期間中の現地時間9月7日午後20時、日本国全権・吉田茂はこの条約を日本国が受諾する意向を述べる演説を日本語で行った。この演説は歴史的に見ても重要な演説であった。
演説は当初英語で行われる予定だったが、直前に日本語での演説に変更された。それ自体は比較的よく知られているエピソードであるが、この変更の経緯が今回の焦点である。「映像の世紀バタフライエフェクト」では、講和会議全権団顧問・白洲次郎の「演説の二日前に、吉田さんから電話がかかってきまして、首席全権の演説を観てくれたかというのです。……それを見るとしゃくにさわったね。第一、英語なんです。……冗談いうなというんだ。GHQの外交局と打ち合わせてやってるのです。……」という1966年の回想を引用し、さらに「白洲は、日本が独立を回復するハレの演説は、日本語でやるべきだと激昂した。アメリカも日本語でやるべきだと提案してきた」とナレーションで続けて説明した。白洲にフォーカスした映像と相まって、番組が日本語演説実現に最も影響を与えたのは白洲だったというトーンでこの経緯を描いていることは明らかであった。
しかし、この白洲の「証言」は他の証言や史料と矛盾する部分をいくつか含み、その信憑性に疑問符がつくものである。本エントリーは他の関係者の証言を取り上げながら、白洲次郎はサンフランシスコ平和条約受諾演説にどのように関わったかを確認する。長い引用を複数含むものとなったが、作成の過程で一種の資料編としてまとめる方がおもしろい部分もあるかと考えたという事情もあるため、読者の方はご理解いただきたい。
なお、この演説原稿の日本語への変更については、近年では小川原正道編『日本近現代政治史』において小宮京・青山学院大学教授が取り上げており、主要な参考文献はこのコラムと重なる。ただ同コラムでは取り上げていない白洲証言と重ねることで多少の変化が出るであろう*1。