579 エッヂの名無し 2025/08/15(金) 21:23:47.968 ID:0Zhp6v6o4
節子はハリーと同じくらいの年なんか
張本さんは当時5歳。紙一重で生き延びた。
張本勲さん
「友達と遊ぼうと思って、(自宅の)引き戸をひいて出た途端、本当にピカーと光ってドーン。これが広島でいうピカドンです。絶叫、苦しいんでしょうね。叫び声、辛いんでしょう。私たちの前、何十人も走って近くのどぶ川に飛び込んだ。全部死んだそうです」
自宅は爆心地からおよそ2キロ。小高い山の裏手にあった。張本さんと2歳上の姉は、母親にかばわれ無事だったが、母親はガラスの破片が背中に突き刺さり、大けがをした。
2日ほど経って6歳上の姉・点子さんが担架で運ばれてきた。
張本勲さん
「その姿を見て声がでませんでした。『これが俺のお姉ちゃんか』と。焼けただれて、顔も体も、お袋は愛娘をみながら、お袋も声もでませんよ」
点子さんは、 爆心地近くで被爆し、全身に火傷を負っていた。
5歳の張本さんが、優しかった姉のためにできたのは、ブドウのつぶを口元にあててあげることだけだった。
張本勲さん
「それくらいしか私のできることはないんですよ。(ぶどうの粒を)取って口元に当てるんですけど、水(果汁)が出たか、出なかったか、記憶がありません」
――お姉様の表情とか覚えていますか?
張本勲さん
「覚えていませんね。表情よりも、焼けただれていますから。ケロイド状に焼けただれてましたからね。お袋は、介護するにも介護のしようが無い。医者はいない、薬はない。自分の衣類を半分引きちぎり、水に浸して、首筋を冷やしてあげる。
姉は死ぬまで、『お母ちゃん、苦しいよ、痛いよ、あついよ』と言ったそうですよ。10歳上の兄貴が、泣きながら私に言ったことがあるんです。私も思わず、『お母ちゃん、お姉ちゃん』と言って大きな声で泣いたのは、昨日のように覚えています」
そして、点子さんは息をひきとった。