9 !metadent:vvv - configured 2025/08/15(金) 22:26:12.431 ID:zaHQzv/dF
映画中では、7000円の貯金を手にしながら清太と節子は亡くなっていますが、これに対し、スタジオジブリの宮崎駿監督はこう批判しています。
‥‥‥‥‥‥‥
それから、巡洋艦の艦長の息子(清太のこと)は絶対に飢え死にしない。 それは戦争の本質をごまかしている。 それは野坂昭如が飢え死にしなかったように、絶対飢え死にしない。
海軍の士官というのは、確実に救済し合います、仲間同士だけで。 しかも巡洋艦の艦長になるというのは、日本の海軍士官のなかでもトップクラスの エリートですから、その村社会の団結の強さは強烈なものです。
神戸が空襲を受けたというだけで、そばの軍管区にいる士官たちが必ず、 自分じゃなかったら部下を遣わしてでも、その子どもを探したはずです。
(稲葉振一郎インタビュー「ナウシカ解読」より引用)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
宮崎氏の意見をくみ取ると、幹部クラスの軍人の息子や娘(清太と節子)が、防空壕で路頭に迷っているなんて現実的には考えられない、ということになります。
旧海軍の場合、同期のことを「クラス」と呼びます。クラス同士の横のつながりは、宮崎氏も述べているように非常に強いものがあります。
仮に清太のお父さんが戦死したとしても、お父さんのクラスが必ず清太や節子を見つけ出して保護しているはずなのです。そこまでが海軍士官の?任務?なのです。
まとめると、「7000円の貯金を持っているような中佐階級の軍人の息子や娘が路頭に迷うことは、当時の常識からして考えられない。だから、火垂るの墓はフィクションだ」ということです。