398 エッヂの名無し 2025/08/15(金) 22:46:48.487 ID:86CgAQgoD
>>116
彼の戦争体験を元に執筆されており、この作品(*1)で野坂は直木賞を受賞した。
原作者の野坂は、生前「自分の妹が衰弱死した時、思わずほっとしてしまった薄情さ」に対しての後ろめたさを投影して書いたと語っている。
また、野坂自身の戦争体験を元に書かれた作品のために、清太は少年時代の野坂の分身とも言えるが、野坂当人は自分ひとりで面倒を看なくてはならなかった妹を疎ましく思い、食糧難に陥ってからは食べ物も満足に与えなかった結果妹を餓死させてしまっており、妹へのせめてもの贖罪と鎮魂の想いを込めてこの作品を書く際、清太を妹想いの兄として設定したという。
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野坂の生母は出産後2〜3ヶ月で他界しており、生父は愛人と再婚するにあたり長男長女はともかく赤子は相手に負担がかかるだろうと生後半年で生母の妹夫婦に養子に出された。
2人の義妹(こちらも養子)がいて、1人目は1941年11月に生後9ヶ月で病死、2人目が節子のモデルである。(*2)
神戸大空襲で貿易商だった父は死亡、母は大火傷を負って入院。
親戚の叔母さん(養父の従兄弟の妻)の娘は4人居て、女学校5年(今で言うと高2)の三女とはラブロマンスがあったという。
母は退院後、祖母(養父の生母の姉。養父の養母)が疎開している養父の弟夫婦の近所へ。
母と祖母の間には深い確執があり、野坂は2人の元で一緒に暮らすことを嫌がる。(*3)
また叔母さんの所も食糧事情が悪化、野坂は幼馴染のツテで福井へと疎開することになるが、母は空襲により歩くのがやっとなのでまだ1歳3ヶ月の妹を託される。
こうして福井で妹と二人暮らしすることになり、終戦前後の食糧事情の悪化を受けて……。
昭和20年8月22日、1歳4ヶ月で没。妹の骨を入れたのは胃腸薬アイフの缶だった。
その後、母と祖母の元で暮らし、祖母が亡くなると夏休みによく行っていた母方の祖母の東京の家で暮らし、土木系公務員から新潟県副知事になっていた生父(*4)に引き取られた。