80 エッヂの名無し 2025/08/24(日) 19:10:57.005 ID:zOAu1r5/X
嘆願書も届いてたんやな
1975年4月14日に開かれた第6回公判では被害者遺族である男性Aとその義兄(女性Bの兄)が検察側証人として出廷し、それぞれ死刑を求めた[56]。その後、同年5月12日に開かれた第7回公判では「騒音被害者の会」代表・佐野芳子が弁護人側証人として出廷し、「被害者には大変気の毒な事件だが、会合では被告人Oに同情する意見が多く、その旨の嘆願書[注 26]も計100通近く書かれている」と証言したほか[58]、被告人Oの元妻(事件後に離婚)も出廷して「Oは音に対し異常に神経質だったが、ピアノの音は自分にも度が過ぎて聞こえていた。しかし『団地はうるさいところ』と思っていたから被害者に対し苦情を言いに行くことはなかった」と証言した[59]。