239 エッヂの名無し 2025/08/28(木) 16:55:52.977 ID:otHSLHq9P
「君が代」の成り立ち
明治3年に作られた礼式曲の初代「君が代」は、イギリス陸軍軍楽隊長J. W. フェントン(John William Fenton, 1831-1890)の作曲です。初演は、明治3年9月8日、東京・越中島における天覧練兵の際に、薩摩藩楽隊による演奏とされています。
しかし、日本人の感性に合わなかったことから、明治9年に初代海軍軍楽隊長の長倉彦二(後中村祐庸(すけつね)と改姓名)から「天皇陛下ヲ祝スル樂譜改訂ノ儀」と題する上申書が提出され、宮内省と改訂の方向で検討に入りました。
その結果、新たに作り直されたのが現在の国歌「君が代」です。明治13年11月3日の天長節に、宮内省式部寮雅楽課によって宮城内で初演されました。この時点では、いわゆる国歌としての位置付けで取り扱ったのは、海軍省と宮内省のみでした。
歌詞の選定および作曲者に関しては諸説あります。歌詞は『古今和歌集』所載の?我が君は…?で歌い出される「読み人知らず」の古歌とされています。作曲者は、宮内省楽部伶人の林廣守とされていました。しかし、現在では多くの研究書があり、諸説あることから、ここでは言及をさけておきます。
この「君が代」は、海軍軍楽隊のお雇い教師、ドイツ人のF. エッケルト(Franz Eckert, 1852-1916)によって吹奏楽用に編曲され、明治21年に海軍省から各条約国に「大日本禮式」(JAPANISCHE HYMNE)の題名で送付したとされています。調子は、フラット(♭)二つの変ロ調でした。
明治26年8月12日の官報第337号に載った「祝日大祭日歌詞竝樂譜」の文部省告示は、次のとおりです。
文部省告示第三號
小學校ニ於テ祝日大祭日ノ儀式ヲ行フノ際唱歌用ニ供スル歌
詞竝樂譜
別册ノ通撰定ス
明治二十六年八月十二日
文部大臣井上毅
別冊には、「君が代」「勅語奉答」「一月一日」「元始祭」「紀元節」「神嘗(かんなめ)祭」「天長節」「新嘗(にいなめ)祭」の八曲が、楽譜付で載っています。解説には、「國歌君が代」と記述されていることからも、「君が代」は国歌として位置付けられていたことが確認できます。調子は、「大日本禮式」より一音高いハ調でした。