393 エッヂの名無し (L20 I7oK-4WcI) 2026/03/15(日) 23:50:27.468 ID:m0Vg6CZsr
これあんまり知られてないよな
ワイも最近知ったわ
1983年8月、新潟開催の新馬戦でデビュー。中野渡清一を鞍上に、レコードタイム、2着に大差(10馬身以上)を付けて圧勝した。次走の新潟3歳ステークスでは前半から33秒7というハイペースで逃げながら、そのまま2着に8馬身差を付けて勝利。走破タイム1分9秒8は、前走で自身が記録したレコードを1秒以上短縮するものであった。
8月の関屋記念で大敗した後、馬主の一柳博志は「環境を大きく変えれば3歳時のようなスピードが復活するのではないか」と考え、マリキータの渡米を決定。現地の短距離競走に出走することを予定し、マリキータは社台ファーム千葉で一旦放牧の後、中野渡を伴ってカリフォルニア州・サンタアニタパーク競馬場へ移動した。
しかし予想に反し、環境の激変からマリキータは心身共に疲弊した様子を見せ、また以後の目途が付くまで滞在を予定していた中野渡も、現地スタッフとの意思疎通に手間取った。結局、管理は現地スタッフへ一任することに決まり、後から厩舎を訪れていた一柳、中野渡はマリキータを残して先に日本へ帰国した。一柳によれば、両者が厩舎を離れる際、マリキータは「大げさではなく」涙を流しながら、非常に狼狽した様子を見せたという。
その後、調教を請け負った現地のエージェントに癌が見つかり、動揺の中で一柳との連絡が滞り始める。直に音信不通の状態となり、マリキータは一度も出走しないままアメリカで完全に行方不明となった。
1990年10月、ケンタッキー州の繁殖牝馬セールを訪れていた社台グループ総帥・吉田善哉が、ジェイドハンター(後に日本へ輸入)の仔を受胎した「Mariquita」という繁殖牝馬を発見する。これが行方不明となっていたマリキータであった。吉田は即座に一柳に連絡を入れると、一柳は「なんとしても日本へ連れ戻したい」と返答し、吉田が約1000万円の費用を立て替えて落札。その後マリキータは日本へ輸送され、渡米から5年以上を経ての帰国を果たした。
音信不通となった後、マリキータは現地の馬主に繁殖牝馬として売却されており、さらにその馬主が急死したため、吉田が訪れたセールへ偶然に出品されていたことが発見に繋がった。