178 それでも動く名無し (アウアウウー Sa5d-BBGU) 2022/07/24(日) 19:03:19.38 ID:UA7cxBDEa
「多くの騎手仲間が、デビューが決まると目標のレースにダービーを挙げますが、自分にとってはデビューの何年も前、幼い頃からダービーを勝ちたいと考えていたし、実際、公言していました」
そんな憧れの大一番に初めて騎乗したのは1988年。デビュー2年目の事だった。当時はまだ24頭立てだったこのレースで、十代の武豊騎手が手綱を取ったのは16番人気のコスモアンバー。結果は勝ったサクラチヨノオーから1秒9離されての16着だった。
その後も毎年のようにダービーでの騎乗機会を得た。
90年には皐月賞馬ハクタイセイの鞍上を任され2番人気に推された。しかし、アイネスフウジンの5着に敗れると、3年後の93年も皐月賞馬ナリタタイシンとのタッグで挑んだが、3番人気3着。ウイニングチケット、ビワハヤヒデの2強に僅かに届かなかった。
更に3年後の96年、1番人気のダンスインザダークでフサイチコンコルドのクビ差2着に敗れると、口の悪い人達からは「武豊はダービーを勝てない!?」とまで言われた。
地味におかしいなこの人