758 それでも動く名無し (中止W 0b64-eVti) 2022/12/24(土) 15:19:17.95 ID:Loco+f5t0EVE
狂気といえばこれがなければ日本馬のブリーダーズカップ勝利がなかったという事実
パーソロンの後継種牡馬として種牡馬生活に入ったメジロアサマであったが、現役時代にかかった流感の治療に抗生物質を使用した事による後遺症もあり、種牡馬初年度は種付けして受胎した牝馬が0頭という状況であった。そのため、折角作ったシンジケートも解散された。しかし馬主であった北野豊吉はそれでもメジロアサマの産駒で天皇賞を獲ることを目指し、メジロアサマを引き取った上で様々な治療や良血の繁殖牝馬に種付けを試みるなどした。
その後メジロアサマは生涯で19頭しかいない産駒から天皇賞優勝馬メジロティターン、京都大賞典に勝利しクラシックでも桜花賞2着・優駿牝馬4着と健闘したメジロカーラ、故障続きで本来の能力を発揮出来なかった希代の快速短距離馬メジロエスパーダ[4]らを輩出した。さらに、メジロティターン産駒のメジロマックイーンも天皇賞を制し父子三代天皇賞制覇を成し遂げた。