367 風吹けば名無し 2018/04/13(金) 22:25:54.55 ID:Z1AGT4LW0.net
清太が間違った判断を下したのは確かだが、
全体主義から逆転し個人主義的な考え方が
広まってきた時代(公開当時1988年)において、
多くの人々は清太に共感するようになったのだと指摘している。
そしてさらに、ある種予言のようにこうも語っている。
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もし再び時代が逆転したとしたら、果して私たちは、
いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。
全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。
清太になるどころか、
未亡人以上に清太を糾弾することにはならないでしょうか、
ぼくはおそろしい気がします。
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前述の「清太が悪い」という意見はまさに
高畑勲さんが危惧していた事態である。
もちろん公開当初にも
清太には共感できないという人もいただろうし、
今現在も社会生活を拒絶した清太に共感をもつ人もいるだろう。
しかしそれでも「清太を糾弾する」流れが
これだけはっきりと見えてくるということは
この30年で社会の風潮や「空気」が変わったことはやはり確かなのだ。
全体主義に合わせられない者は悪。
非国民であると。
現代的な言い方をすれば、
社会に合わせられない者の無能さや愚かさは
「自己責任」でありそれによって困窮したり最悪命を落としても
それは同情されないものでむしろ責められるべきものある、と。
そういった視点を意識的、無意識的に関わらず
私たちは清太に向け始めているのだ。