809 - 忍法帖【Lv=62,BCDPT,ID:f8kY2R8.xnJXYK/y15rlXjIUTcmRXDab3qgZlzfLUw41gI】【総カキコ数:1815】【カラコイン:19707090】 2024/03/26(火) 00:08:33.37 ID:eB6vXJPY0
チャイナドレスのルーツはモンゴルの「デール」であり、満洲人がデールを自民族に導入し、創られたのが「満洲服」である。
この満洲服は、清の中盤でモンゴル式から離れて中国化を遂げ、現代のチャイナドレスと直接の継承関係を持ち、両方のデザインの共通点が多く見られている。そして、清建国以前中国人が纏っていたチャイナ服は「漢服」と呼ばれ、詳しくは各項目を参照。
14〜15世紀、チャイナドレスは元々遊牧地域に暮らしていた満洲人の衣装であった。遊牧民の生活や戦争を便利にするため、満洲人は隣の北アジア地域に暮らしていた騎馬民族の服、モンゴル人のデールをそのまま自民族に吸収したものである[4]。
16世紀、満洲人が漢民族の明王朝を征服した後、満洲人の貴族団体である「旗人」は支配し易くするため、漢人を多く取り込んだ。漢人が多数派になった旗人は、自分たちの服を意図的に中国本来の漢服の文様・織り方法・礼装体系に適応させ、徐々に戦闘用のデールから遠く離れた。
このような服は統一的な名称を持たず、「満洲服・騎装・旗装・旗服」など、幾つかの呼び方が同時に存在していた。清の中盤以降、満漢両民族の服装的な特徴を融合された満洲服は、清国の政策により中国全土に浸透していった[5]。
17世紀、満洲服は清国の属国であるベトナムのアオザイに大きな影響を与えた。