100万ドルのハチナイ (1001)

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726 - 来世はカメムシ 2024/07/09(火) 00:16:47 ID:QFwMqDnP0

「ただいま……」
 玄関の扉を開けると、懐かしい匂いが部屋を充満していた。甘辛いタレの香り、ほんのり効いた魚介の生臭さ。子供の頃、ほんの数回だけど、お祝い事で連れて行ってもらったお店の香りだ。
「あら、おかえりなさい」
 エプロン姿の琴葉が俺を出迎えてくれた。うん、今日も眼福。眼福なんだけど、何故こんな香りが。
「琴葉、なんでウナギなんて」
 今の俺達の家計簿を考えると、そんな高級な食材、とてもじゃないけど買う余裕はない。最近は養殖技術が発達して容易に入手出来るようになったとも聞くが、それでも我が家の財布には結構な打撃になる。
「え、だって」
「それとも、もやしの蒲焼とか?」
 勝手に期待して、勝手に失望しないよう、敢えてハードルを下げる。タレがあるからと言ってウナギとは限らないのだ。もやし料理が得意な琴葉の事だし、きっと食卓で待っているのは美味しいもやしの蒲焼。間違ってもウナギなんかじゃないだろう。
「違うわ、本当のウナギよ。ちょっと奮発して」
「でも、なんで」
「だって、今日は大事な面接だったんでしょ? だからお疲れ様です、幸運を祈りましょうって、たまにはご馳走しないと」
 笑顔で俺を労う琴葉。屈託のない笑顔に心が痛む。確かに今日は面接だった。だが直前に怖くなってしまい、すっぽかしてしまったのだ。渡された交通費や昼食費はパチンコに消えている。そんなクズ行為に走ってしまったのに、何も知らない─いや、察しのいい琴葉の事だ、きっと気が付いている─琴葉は何故か笑ってくれた。
「ほら、温かいうちに食べましょう?」
「う、うん。ありがとう」
 どうしようもない罪悪感に苛まれながら、俺は琴葉と一緒に食卓に向かった。