核宿り・狂っているのは君のほう (14)

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1 名前が出りゅ!出りゅよ! (sage) 2015/09/18(金) 23:02:44 ID:crSgQIkE

1.

 その日も午後から日暮れにかけて、軽い夕核が降りつづいた。
 ドドドドッという昔どこかで聞いたドラムのような音と共に核が降り注ぎ、夕陽と共に東京の街を紅に染め上げてゆく。
 まいったな、今日に限って傘を忘れるとは。
 慌てたまま私はT門の一角、とあるビルのエントランスに駆け込む。
 それほど長い間は降らないだろう。日が沈むまでには降りやむはずだ。
 しばしの間、ここで核宿りをすることに決める。卸したてのスーツを放射能に晒すのも気が進まない。

 エントランスの階段に腰を下ろし、ビル前に設置してあった自販機で購入した缶コーヒーを一口飲む。
 元より味に期待などしていないが、ブラックは失敗だった。泥水のような液体が喉をくぐり、あとには苦味だけが残っていく。
 脇に缶を置き、一日のデスクワークで凝った体を伸ばす。首を回すとこきこきと音が鳴った。
 自分以外に核宿りをしている人間がいることに気づいたのは、更に体を伸ばそうと後ろを向いたときであった。
 小太り……いや、かなり太り気味の男性がひとり、階段を登り切ったところ、集合ポストの脇にたたずんでいた。私より幾分か年上の風貌である。
 男は微動だにせず、手に持った分厚い文庫本を一心に読んでいた。
 こちらに気づいていないのだろうか。
 よくよく見ると、男の履いている白いスラックスの前部が、もっこりと膨れ上がっている。
 一体、こいつは何を読んでいるのだ?
 男の文庫本にはカバーはかかっていない。目を細め、興味本位で背表紙に書かれた文字を読もうとする。
 作者名、ウラジーミル・ナ……。

「読みますか」

 突然声をかけられ、思わず肩を震わせてしまう。
 視線を文庫本から上げると、男の細い両目がこちらを捉えていた。
「読みますか」、男は再び言った。わずかに目に笑みを浮かべて。
「そんなに本をにらまれたら、当職も読みづらいですよ。今とってもいい所なのに」
「……いえ、結構です。失礼いたしました」
 ねっとりとしたその声に軽い生理的嫌悪感をおぼえながら私は返答する。
 男は文庫本をぱたりと閉じると、私の隣まで歩み寄ってきた。この程度動くだけでも息が切れるらしい。ぜいぜいとした荒い息遣い。
 彼の体臭だろうか、腐りかけの果実のような甘ったるい香りが私の鼻孔を突く。
「よく降りますねぇ」と男は空を眺めて呑気に言った。「ここ一か月、ずっとこんな調子だ」
「そうですね」、私は適当に話を合わせる。
「私も今日に限って傘を忘れてしまって。まったく、困ったものですよ」

 くすくす。

 隣の男は何がおかしいのか、小さく笑いはじめる。笑い声に合わせて贅肉にまみれた体がぷるぷると震える。
 私はどう反応すべきか少々悩んだのち、軽く愛想笑いを浮かべておいた。
「……ね、あなた、どうしてこう核が降るのか御知りですか」
 ひとしきり笑った男が、私の顔をのぞきこんで言う。脂肪に隠れた眼球の中で、小さな瞳だけが異様に輝いている。
 反射的に目をそらしながら、私はこたえる。
「どうして、って……季節柄、仕方のないことでしょう。一つの天候ですよ」
「いいえ、それは違います」
 ぴしゃりとした発言で私の言葉は断ち切られる。
 男は私の隣に腰を下ろすと、暗記した文章を読み上げるように淡々と話しはじめる。
「初めて夕核が観測されたのは2012年3月8日。そこから断続的に夕核は降りつづき、現在に至る。
 主に夕核が降る場所はここT門、そして千葉県M市。降った核の合計は現在40298発。まだまだ増えるでしょう。
 ……しかし、ここ一か月の夕核ははっきり言って異常だ。あまりにも多い」
 男は一度言葉を切ると空を指さし、薄い笑みを浮かべて私を見た。
「見てくださいよあの光景を。あの夕空に輝く核の光を。
 まるで世界の終わりを告げるようではありませんか。実に愉快だ、この世界の終焉は近い」