6 6/10 (sage) 2016/02/14(日) 21:55:59 ID:oD9hA9Ko
その日は本格的な冬が始まったころだった。
体型の割に寒がりのKは暖房をひどくきつくかけるところがあったので、その日もぬるい空気が漂う事務所の中で、僕はネクタイをゆるめて書類の整理をしていた。
Kの父親は所用で席を外しており、事務員はすでに帰っていた。
僕ら2人は、会話も交わさずに互いの作業をおこなっていた。
窓の向こうではビルの谷間に原色の夕陽が沈んでいく。きっと明日になれば生まれたての胎児のように、ぬめぬめとした朝日が顔をのぞかせるのだろう。
大体の作業を終えた僕は、先に帰ることを告げようとKのデスクを見やった。
はじめ僕はKが怪我をしたのかと思った。
シャツをまくりあげた彼の左前腕から、赤い血が流れ出すのを見たからだ。
しかし、すぐにそれは《彼自身が》おこなったのだとわかった。
Kは右手にコンパスを握りしめており、その針の先端は赤く染まっていたのだ。
Kは無表情に自分の左腕を見つめていた。
僕がどんな表情をしていたかなんてわからないが、きっと相当に奇妙な顔を浮かべて彼を見つめていただろう。
しばし逡巡してから、「……なにをしているのかな」と僕は慎重にたずねた。
こういった場合、どういった言葉をかければよいのかなんてわからない。
Kはこたえなかった。彼は自身の左腕をじっと観察していた。
彼のそばへ歩みよってその傷を見たとき、僕は息をのんだ。
「なあK」、僕はなるべく平静を保つよう心掛けながら言った。「どうしてそんなことをしているんだ?」
相当深いところまで針を突き立てたのだろう。黒々とした血があふれ出していた。
でも、僕がそのとき一番驚いたのはその傷の深さよりも、その傷口のカタチだった。
それは、僕を表す漢字四文字を象っていたのだ。
Kはなおも沈黙をたもっていた。それは僕との会話を拒絶するというよりも、どこか遠い世界へと彼の意識を漂わせているように思えた。
「K」、僕が大きめの声で呼びかけると、やっとKは僕の方を向いた。
「どうかしたナリか?」