1 名前が出りゅ!出りゅよ! 2016/03/30(水) 00:44:37 ID:sGsr5YXw
この事務所は広く清潔だが、どこか台風の日の体育館を思い起こさせる。
ぼんやりとディスプレイを眺めながら、そんな馬鹿げたことを考えてしまう。社会に出てから学生時代の感傷などいくらか薄れてしまったというのに、何故今になって鮮明に思い出してしまうのだろう。
あの閉めきった だだっ広い空間。若い汗と赤土のこもった匂い、薄暗い外、外気によって徐々に冷えていく熱気、非日常への期待、いつ帰宅できるのかと急く心、そして一粒の不安。
「Kさんは、―― なんです」
ふと、あの日の声が耳元でよみがえる。
デスクから振り返ると、Kさんが食べ散らかした氷菓のゴミを諫めながら片付けていくYさんと目が合った。
白く冷たい指先。うなじが強ばる感覚。
反射的にデスクに向き直り、軽く頭を振って思考を仕事用に切り替えた。
日々の業務は極めて単調である。Yさんに指示された案件の処理、あらゆる書類の確認、電話対応―イタズラ電話が多いので対応は慎重に、常に私に確認をとって下さいね― 事務所を訪れる客人は滅多にいない。人づてで依頼される仕事の大半はYさんが受け持っている。
その間Kさんが何をしているのかと言えば、ソファに寝転がりスマホをいじったり、Yさんが淹れる甘いコーヒーをすすったり、何やらパソコンに向かってニヤけたり……まったく自由なものだ。とても勤務中の姿とは思えない。
呆れ顔の俺を尻目に、涼しい表情で世話を焼くのはYさんだ。
Kさん、駄目じゃないですかそんな格好じゃ。ジャケットには皺がよってるし、襟には食べカスがくっついてます。クリーニングに出したものがありますから、これに着替えてください。はーい、万歳して
愛おしくてたまらないという目で。すがるような目で。
言われるがまま素直に従うKさんも俺には理解の外だ。「普通とはちょっと違う事務所だから苦労するかも知れないよ」…前の事務所の先輩の言葉を今さらながら実感する。
でも、俺はこの事務所を嫌ってはいなかった。
若いうちに色々な経験を積むのは意義のあることだし、目新しい環境で何かしらの礎というものを築いていけるかもしれない。
俄然 熱意に燃えて次の指示を仰ごうとYさんに向かった時、彼はKさんのネクタイを結んであげていた。