2 名前が出りゅ!出りゅよ! 2016/04/09(土) 09:58:15 ID:XTX.YoHw
こと食事に関して言えば、父洋と唐澤貴洋の関係はコアラのそれとよく似ていた。
コアラは自らの排泄物を子に餌として与えるという。彼らの食べるユーカリには繊維質や毒が多く含まれていて、未熟な子コアラはそのままでは消化しきれないからだ。
唐澤貴洋もまた子コアラ同様、その下痢便体質ゆえに父洋の排泄物以外の食物からはうまく栄養を摂ることができなかった。
こうした二人の関係は食事だけでなく社会生活全般に関しても敷衍することができた。父洋を仲介し唐澤貴洋に与えられる仕事・肩書・居場所などの諸々……、そうしたものが潜在的に持っている「毒」は父洋というフィルターによって濾過されていた。無能な唐澤貴洋は安心してそれらをただのうのうと享受していればよいのだった。
社会とは顔のない有機的な化け物めいたひとつの秩序であって、個人はそのなかであまりにも無力である。父洋がそれらの圧力から唐澤貴洋を守ろうとしたのは当然の親心であった。また実際のところ、父洋のこうした配慮がなかったならば唐澤貴洋はとっくの昔に死んでいただろう。
今日も無心に「食事」をむさぼるカラさん。その姿を愛おしげに見つめる洋さん。
窓から差し込む斜光を背にした二人の姿は幼子イエスを抱く聖母マリアが描かれた一連の宗教画群をたやすく想起させた。この景色を眼前にするたび、抗いがたい荘厳さが僕の身を震わせるのだった。