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737 名前が出りゅ!出りゅよ! 2022/03/29(火) 01:21:43.41 ID:+a/ZOR+c0

死とは何か。若い人は考えたことすらないだろう。
天国か地獄か。極めて恐ろしいもの。華麗で美しいもの。さまざまな考え方があるだろう。
別にこれらに賛同するつもりもないし否定するつもりもない。
自分の1考えをこれからを生きる人生の参考になればいいな、と勝手に思い記すまでである。
改めて死とは何かを考えてみよう。
生命の「死」というのは生命体の活動が停止すること。すなわち生命体が終焉を迎えて死ぬという現象を指す。
或いは生命が生命として存在しなくなる状態を指す。
現象か状態か、正解はないのだが、どちらの解釈にも共通するのが「生命活動が止まって生命に終止符を打つものが死である」ということである。
つまり、死は「人生の終止符」なのである。
我々が日本語なり英語なり文を書くときは毎回最後に読点やピリオドを入れるだろう。
入れるのが決まりだから当たり前すぎて気にも留めたことがない人が多いと思う。
文の最後に打つ終止符は文字の流れをせき止める水門なのである。
文を書く人間の1つの操作で文字の流れはいとも容易く止めることができるのだ。
人生も同じ。死という終止符が生きている時の流れを断ち切る水門なのである。
唯一文と人生が違うのは終止符の数に過ぎない。
というのも人生における終止符は生の流れに訪れるただ1つの死であるのに対し、文章は幾つもの文から構成される以上は文と文を区切る役割としての終止符を多用するからである。
単数形か複数形かだけの違いなのでよくよく考えればあまり大きな差ではない。
「人は死ぬ 必ず死ぬ 絶対死ぬ 死は避けられない」
だけれども所詮は終止符が単数形か複数形かしか何気ない文章と差がないのである。
だから死を恐れる必要は考えるに何もない。
我々が文をどこまで書いてどこまでで止めるかを吟味して1つ1つ積み重ねていくことで1つの美しい文章が完成する。
1つの1つの美しい文字列のハーモニーが文章の完成度を左右する。
1つとして不必要な要素がない。全部の文、いや全部の文字が主人公なのである。
人生は1回しか終止符が打てないと悲観する必要はない。
だって文章中の全ての文字は主人公となることができるのに、たった1回の人生が無駄になるなんてことはまして起こるはずがないからである。
死は恐ろしいものではなく、むしろどのように終止符を打つかを吟味する準備期間が長いことに感謝すべきではないか。