2 がん患者さん 2016/06/14(火) 12:26:47.64 ID:JnUEqsRH0
多摩川の河川敷で集団暴行に会った藩士の慰霊碑がある
沼部駅の北に東光院(田 園調布本町)が ある。昔は、この寺の側 を次太夫堀‐六郷用水が
流れ、石橋があった。今は、用水跡を説明する案内板が建っているだけである。有慶山
延命寺、東光院 と号する。真言宗智山派で小杉村最明寺の末である。開山は義賢和尚で
元禄三年(一 六九〇)二 月寂。多摩川園の浅間神社 と浅か らぬ関わ りがある。浅間神社の
条でも触れたが、源頼朝の妻北条政子の守 り本尊が浅間神社に祀 られた。その観音菩像が、明治四年(一 人七一)六 月一 日に東光院に移 された。新政府の政策による太政官令によるものだつた。
以後、六月一 日を祭 日ときめ、約二十センチの高 さの鋼製の菩薩像を神輿に乗せ、一
日だけ東光院か ら浅間神社へ返 した。今は、祭礼はない。
境内に 「勇士碑」がある。明治維新の激 しい奔流の中で、誤解にもとづ く殺傷の犠牲
となつた二人の男たちへの追悼看卑である。激動の大転換期の歴史の舞台で、こと志 とち
がい、石 ころのように見捨て られ、葬 り去 られていった人々が、以下に少なくなかった
かを物語 る一lFllで あろ う。 「勇士碑」は、境内へ入つて左手、大銀杏の樹の下、大師像の裏のところにひつそ りとある。某藩士 とのみ記 された三名は、『 民衆 と意志の疎隔を
招来 し、群衆の憤怒にあい』、明治革年(一 人六人)六 月五 日、二人は千東池畔で斃 され、
残 りの二人は逃げまわったあげ句、多摩川原 で村民により虐殺 されたのである。碑文末
尾に 「施主当村赤門森某」とあるが、これは川原で殺害 された二人が、寺 と間違い逃げ
こもうとした家の主・医者である。医者の間が赤門だつたわけで、森は彼 らを惨死せ しめた責任 を感 じ追悼文を草 した。
http://s-yoshida2.my.coocan.jp/data-base/130412_kaisetu_denentyouhu.pdf