2 がん患者さん 2016/07/18(月) 12:35:26.93 ID:3SFMte+80
当職の弟を当職が殺したなどという当職のアイデンティティを否定する投稿が多数なされておりました。 当職の弟は秀長という名前でした。三つ違いの弟でした。喧嘩もしましたが、私にとってのかけがいのない弟でした。 弟は、天正18年に、病が悪化し、大和の郡山城で、秀次の談山神社への祈願があった翌年に祈願も通じず死去しました。 弟が52、私が55のことでした。 私の中にはいつも弟がいます。