237 がん患者さん 2016/08/09(火) 12:10:36.72 ID:/SnL8hww0
よし、私はまず死体の瞑想を行おう。
まずここに愛する対象がいる。その愛する対象が死んだ。愛する対象が死んだら、まず身体が膨張したような感じになる。次に能面のような顔になり、脂が浮いてくる。そして、それが少しずつ少しずつ腐り出す。
そして、それが腐った後、膿、あるいはうみ、その他がどんどん出てくると。そこへたくさんの、肉を食らう鳥どもとかが飛んできて、ついばみ出す。
ああ、私の愛する対象はどんどん肉が落ち、そしてバラバラになっていく。私の愛する対象はついに、ほとんど肉のない状態で、骨はバラバラになった状態になる。
骸骨が見え、肋骨が見え、胸骨が見え、背骨が見え、骨盤が見え、手の骨が見え、足の骨が見えている。
仕方がないからそれを火葬する。すると骨のかけらしか残らない。
いったい私は、死んだ異性に対して性欲を持つことができるだろうか。いったい私は、能面のようになった脂の浮いた異性に対して性欲が持つことができるだろうか。
いったい私は、腐り始めている異性に対して性欲を持つことができるだろうか。いったい私は、うみや膿のどんどん出だしている異性に対して性欲を持つことができるだろうか。
いったい私は、鳥についばまれてほとんど骨しかない状態の異性に対して性欲を持つことができるだろうか。いったい私は、骨そのものに性欲を持つことができるだろうか。いったい私は、骨のかけらに性欲を持つことができるだろうか。
いったい私の、性欲の対象と考えているものは何だろうか。肉体ではない。単に五妙欲が私に幻影を与えた、その幻影にすぎない。
そして、愛著について言うならば、愛する異性と今楽しく生活していても、未来において喧嘩をし別れ その愛する異性が他の異性と交わり、苦しまなければならないかもしれない。そういう例はたくさんある。私はその苦しみの世界に足を踏み入れないようにしよう。
また、愛する異性がどんどん変化をし、おじいちゃんやおばあちゃんになっていく。私はそのおじいちゃんやおばあちゃんに対して、愛情が持てるだろうか、性欲が持てるだろうか。私はそれに足を踏み入れないようにしよう。
また、私は、死ぬまで愛し合うことができた相手が死んだ、そのときの苦しみ、その対象が自分と同じほど大切であればあるほどその苦しみは大きい。そのときの苦しみに対して、心が転倒しないだろうか、心が錯綜しないだろうか。
いや私は錯綜するだろう。だとするならば前もってそれを乗り越える修行をしよう。