239 がん患者さん (sage) 2016/08/09(火) 12:11:10.32 ID:/SnL8hww0
結局、愛著をするということは総じて苦である。結局、愛著をするということは総じて苦である。楽の要素は一つも含んでいない。結局、愛著をするということは総じて苦である。
そして私が対象としている異性、これは結局、幻影である。結局、私は対象を愛しているのではなく、自己の欲望を肯定しているにすぎない。
もし私が、目における、好む感情、楽しい感情、喜び、愛著、これを持たなかったなら、私は五妙欲から解脱する。同じように、鼻についても、耳についても、あるいは舌についても身体の感触についても同じである。私はこのような無常なものに心を惑わされないようにしよう。
そしてこれに加えて、五蓋に、五蓋を滅する瞑想のときに学んだ不浄の瞑想法を一緒に行おう。それによって私は完璧に性欲を脱却することができる。完璧に性欲を脱却することができる。完璧に性欲を脱却することができる。
目は私ではない。耳は私ではない。鼻は私ではない。口は私ではない。身体は私ではない。私は五感ではない。私は感覚ではない。私はイメージでもない。私は知識でもない。私は観念でもない。私はそれを越えた、純粋光の世界、それが私である。
私は色ではない、私は受ではない、私は想ではない、私は行ではない、私は識ではない。もし私がこの五蘊を私だと考えるならば、そこで苦が生じ、そして私は破滅する。
私は色を離れ、受を離れ、想を離れ、行を離れ、識を離れる。それによって私は苦を滅尽する、そして苦から解脱する。そして私は絶対的な純粋光の世界、真我に到達しよう。私は純粋光の世界、真我に到達しよう。
この経をお説きになった、シヴァ大神と諸仏に感謝して。
オーム・アー・フーム
ヴァジラ・ナマ・シヴァヤ
ヴァジラ・ナマ・ブッダヤ
ヴァジラ・ナマ・グルヤ
ヴァジラ・ナマ・サティヤンヤ
ヴァジラ・ナマ・タントラヴァジラヤーナ・ヤマ・ニヤマヤ