【唐澤貴洋愛す】雑談★32【ハセカラキッズ速報】 (301)

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295 信徒庁決意 (sage) 2016/08/09(火) 12:28:21.63 ID:/SnL8hww0

次のステップは導きである。さあ、導くぞ。
まず、第一に自分自身が無明の凡夫外道を導くぞ。自分の友人、知人、縁故関係をすべて導くぞ。
オウム真理教に直接アプローチしてきた凡夫外道に法則を説くぞ。
たとえ、導きの途上でカルマ落としに出会っても平然と耐えるぞ、あるいは叩かれても叩かれてもそれを喜びとするぞ。
第二に、信徒と一緒に導くぞ。
次の機会には、しっかりとその信徒一人でも導けるよう導きの手本を見せるぞ。
たとえ、導きの途中でカルマ落としに出会っても平然と耐えるぞ。あるいは叩かれても叩かれてもそれを喜びとするぞ。
そして最終段階だ。信徒に導きの実力がついた。独力で導けるようになった。この段階で、信徒にしっかりと導かせるぞ。しっかりと導かせるぞ。
導きの途上で会うカルマ落としに平然と耐える、
あるいは叩かれても叩かれてもそれを喜びとすることができる強い信徒を作るぞ。カルマの法則は絶対である。
多くの凡夫外道を導いた信徒は、カルマの法則によって必ずより高いステージの人に導かれる。つまり、信徒が救済されるためには、信徒に導かせる必要がある。
さあ、しっかりと信徒に導かせるぞ。信徒に導かせるぞ。
導きのできない信徒には、布施の実践をさせるしかない。導きのできない信徒には、しっかりと布施の実践を徹底させるぞ。しっかりと布施の実践を徹底させるぞ。
これ以外の方法によって、その魂が救われることはない。
これ以外の方法によって、その魂が救われることはない。
これによってしか、その魂は救済されないんだ。したがって、徹底的に布施の実践をさせるぞ。徹底的に布施の実践をさせるぞ。
そして法則を実践させるからには、その法則を徹底して実践されなければならない。よって私は、ラトナサンヴァバの法則を実践させるぞ。
もともと財そのものは三グナの変形した形である。したがって、これは誰の所有でもない。この誰の所有でもないものを真理のために使うとするならば、それは最高の功徳となる。
逆にこの誰の所有でもない財が、煩悩を増大させるために使われているとするならば、それは断じて救済の障碍である。
断じて救済の障碍である。
なぜならば、その財はその魂の煩悩を増大させるからである。
なぜならば、その財が布施されることによって進むはずの救済計画が、その分だけ進まないからである。
なぜならば、その魂がその財を布施することによって積むはずの功徳を、積むことができないからである。
したがって、はぎ取るぞ。はぎ取るぞ。身ぐるみはぎ取って、偉大なる功徳を積ませるぞ。丸裸にして、その魂の大いなる飛躍を手助けするんだ。
身ぐるみはぎ取ることに対して躊躇するということは、その魂の本当の幸せを願っていないということだ。その魂を輪廻転生を考えた場合、現在の幸・不幸は全く関係ない。
つまり、その魂が泣こうがわめこうが、最高の転生をさせるためには、すべてを奪い尽くすしかないんだ。
それでもはぎ取ることを躊躇するのは、四無量心が足りない証拠だ。聖哀れみが足りない証拠だ。
したがって、はぎ取って、はぎ取って、すべてを奪い尽くすぞ。はぎ取って、はぎ取って、すべてを奪い尽くすぞ。
そして、業質のある魂には、より激しいラトナサンヴァバの実践をさせるんだ。より激しいラトナサンヴァバの実践をさせるんだ。
財そのものは誰の所有でもない。財が誰かに帰属するなどというのは、明らかに幻影なんだ。
幻影である証拠として、死後、わたしたちは財を持っていくことはできない。生前の財を所有することはできないんだ。
したがって、財は積極的に奪い取るべきである。財は積極的に盗み取るべきである。よって、心の強い魂には、より激しいラトナサンヴァバの実践をさせるぞ。
より激しいラトナサンヴァバの実践をさせるぞ。
導き、布施をなし功徳に満ちた信徒の次のステップは出家だ。
現在は、カーリー・ユガの時代である。
目から入ってくる情報も耳から入ってくる情報も嫌悪、性欲、食欲をかき立てる。そしてエネルギーそのものがアパーナ気を強めている。
したがって、放っておけば、現代人は三悪趣に落ちる。
よって、できるだけ早く出家に導くぞ。
できるだけ早く出家に導くぞ。できるだけ早く出家に導くぞ。
結局、在家にいては救済されない。確実に救済するためには出家するしかない。
よって、出家させるぞ。
出家させるぞ。出家させるぞ。出家させるぞ。