17 恒心教試論 2016/03/28(月) 08:59:22 ID:5qABptt6
恒心教のコンテンツとしての成立を可能にした思想的背景には、ハッカー文化があると考えそのような視点から恒心教について考えてみたいと思う。
ハッカー文化とは、主にアメリカの学生やコンピュータ技術者を中心に引き継がれている、技工系の文化である。ハッカー文化の特徴には「技術志向」と「反権威主義」が挙げられる。
アメリカ発祥のハッカー文化だが、日本でも2chには黎明期からハッカー文化が根付いていたといえる。「技術志向」は閉鎖騒動から2chを救い、田代砲による大量投票などの「祭り」を産み、「反権威主義」は違法性をめぐり裁判まで発展した「Winny」やあくまでも反・体制左翼であって右翼ではない「ネトウヨ」を生み出した。
いつしかネガティブな意味を持つ「祭り」は「炎上」と呼ばれるようになり、「炎上」は2ch上で日常的に繰り返されるようになった。
本来は爆発的に短期的な注目を集めるに過ぎない炎上という事象が、
①人口の多い板で長期間分かりやすいヘイトを集めていたこと
②「弁護士制度に対する挑戦」という反権威性
③pixivやニコ動やまとめサイト等さまざまな方面からの人口流入
④Wikiによる情報の体系的整理
といった複合的な条件で長期的に持続し、コンテンツ化が成立した。この条件の下でコンテンツ生産者(≒消費者)の質と量も同時に確保され、あらゆるネットコンテンツの中で「技術志向」と「反権威主義」において最もラディカルであることを可能にした。
尊師ールを貼りまくる、カラコインを製造する、ウェブサイトのハッキング、Googleマップを荒らす等の行為は全て「技術」を駆使した「反権威主義」であると言える。
「技術」を駆使した「反権威主義」はパロディの形で顕著に現れ、恒心教はあらゆるネットコンテンツを常にパロディとして侵食した。Orpheus、遊戯王カード、MMD等。カルト教団や法律までもその「パロディ」として逮捕者を出す危険思想集団に成長したのであった。
最後に、オウム真理教への考察を通して恒心教の今後について考えたい。
なぜ90年代の若者はオウムに取り込まれていったのか。不全感を抱える若者にとって世間の常識よりも、オウムの教義の方が魅力的であったからだ。一般社会の抑圧性を敏感に感じていたところに、オウムの教義がそれを乗り越えるためのものとして彼らの前に現れたからだろう。しかし、オウムはよりラディカルに、より戦闘的にという道を突き進み最終的には自滅してしまった。
現代においても同じような事がいえるのではないだろうか。ただひとつ異なっているのは恒心教は「パロディ」として現れたことだ。恒心教に何らかの可能性が見出せるとしたらこの一点だろう。