903 グナマーナ正大師 2015/03/03(火) 05:05:11 ID:pp1Wue2k
>>898
当職は結論から言えば、私は「成立する」と考えております。
神聖六文字は、一連の騒動を恒心教という宗教の活動であると定義した場合、たしかに「契約」に当たるものでしょう。
しかしそういった装飾を取り払って神聖六文字を見ると、何てことの無いただの薄汚れた殺害予告ですを
かかる六文字は、その本来の用法である「明確な悪意の行使」として今も使われ続けている一方で、まるで挨拶か感謝の言葉であるかのようにも使われている。これがいい。
よって、契約の言葉としての「聖」の属性と、殺害予告という半分犯罪じみた行為としての「俗(または悪?)」の属性、二つの対義的な意味が神聖六文字をには含まれていると当職は考えております。
矛盾的な二つの意味が一つの言葉に宿り、言葉は矛盾によって崩れること無く両方の意味を安定して同時に保っているということから、これもまた二重思考的システムが組み込まれているのかもしれない。
つまり、神聖六文字が殺害予告として成立し、尊師への悪意という役割(上記の俗または悪の属性)を持ち続けている限り、
神聖六文字は同時に尊師への崇拝の役割(上記の聖の属性)をも持ち続ける……というように解釈しております。
殺害予告は予告された側の反応の有無に関わらず予告が完了した段階で成立する(親告罪がどうの被害届がどうのはまた別の話)ため、たとえ尊師からの反応が無くとも自動的に崇拝も成立しているのです。
マジレスくっさという本心ある方々もいるだろうから当職はこれぐらいにしておきますをどうも尊師関連には(こじつけも含めて)オーウェル要素が絡んでくるなと思った一瞬でした。
こんな時間に適当にでっち上げた意見なので穴だらけだしそもそも恒心教が宗教っぽいお遊びの枠を出ることは(まだ)無いので、宗教的に考えてどうなのかと語るのは次元が違うようにも思う。